瞬が体調不良を理由に学校を休んだのは、翌週の月曜のことだった。 星矢の元には、ちょっとした気疲れのせいで大したことはないというメールが届いていたのだが、星矢はあえてそれを伏せて、氷河を瞬の見舞いに行かせたのである。 「俺と紫龍はガキ共の世話しなきゃなんないしさ、おまえんちがいちばん近いんだよ。瞬は一人暮らしみたいなもんだから、誰かが様子を見にいってやんなきゃなんねーの」 「しかし、俺は――」 「でさ、おまえが 俺たちにも言わずにいることを瞬に言ってもさ、俺たちはおまえのこと 友だち甲斐のない奴だなんて思わなねーから」 「何のことだ」 「俺が知るわけねーだろ。聞かされてねーのに」 そんなやりとりのあと、氷河は星矢から渡された地図を手に、瞬が2ヶ月前に引っ越してきたというマンションへと向かったのである。 瞬はまさか氷河が見舞いにやってくるなどとは思ってもいなかったらしく、セキュリティの厳しいマンションのエントランスホールを抜けるために、氷河は少々手間取ることになった。 それでも、氷河は何とか無事に 瞬が暮らしているマンションの客間に辿り着くことができたのである。 瞬の暮らしているマンションは広く真新しく、家具が少なく、不自然なほど生活臭のない空間だった。 同居人が滅多に帰ってこないというのは事実らしく、生きていくのに余分なものも ほとんど見当たらない。 氷河は、学校にいる時よりも2まわり分 瞬を小さく感じたのである。 「まさか氷河が来てくれるなんて――。星矢、心配してた? ほとんど ずる休みみたいなものだったのに、わざわざごめんなさい」 瞬は確かに熱があるようにも 立っているのがつらいようにも見えなかった。 身に着けているものもパジャマの類ではなく、そのまま外に出ていってもおかしくないものである。 ただ、ひどく覇気がない。 これが初対面の上級生を衆目の中で投げ飛ばしてみせた豪傑だとは、投げ飛ばされた氷河本人にも信じられないほど――瞬は頼りなく見えた。 「なんだか、新しい家とか新しい学校とか、生活が変わることで緊張してたのが、『そろそろ慣れてきたなー』って思った途端に ぷつっと切れたみたいで、そしたら一人でいることが急に寂しくなって――」 その直接の原因となったものを、氷河は今日も持参していた。 小さなピンク色の花で作られた小振りなブーケ。 それが、自分から気力を奪ったものだということに、瞬は、再びそれを目にすることで自覚したのである。 まさか、そんなものが、学校を休んだ男子高校生への見舞いの品であるはずがない。 氷河はこの家を出たあとに その人と会うのだろうと思うと、瞬はますます自分の心身が重たく感じられるようになった。 彼をあまり引きとめてはならないのだと、瞬が考えた時だった。 氷河が突然、その重い口を開いたのは。 「俺のマーマもこんなだった。一人で、来ない人を待ち続けて、力付けてやりたいのに、俺は無力な子供でマーマに何もしてやれないんだ……」 「それは……。でも、氷河はもう子供じゃないし、今はいろんなことでマーマの力になってあげられるでしょう?」 「……」 氷河が母ひとり子ひとりだということは、瞬も星矢に聞いて知っていた。 しかし、氷河の父親が亡くなったという話は出たことがなく――瞬は察することしかできなかったのだが、察しはついていた。 氷河の両親は正式な夫婦ではなく、正式な夫婦であったとしても、それは過去のことなのだ――と。 「何か俺にできることはないか」 「僕は平気だよ。慣れてるし。でも、これから少し横になることにする。氷河も早く家に帰らないと、マーマが心配するよ?」 まだ6時にもなっていないというのに、そして、氷河がここに来て20分も経っていないというのに、瞬は氷河に帰宅を促した。 それで氷河がまっすぐ家に帰ってくれるのならどんなにいいだろうと思いつつ、玄関に見送りに立つ。 玄関先で、氷河がここにやってきた時に手にしていたものを持っていないことに気付き、瞬は慌てて客間にとってかえした。 そして、テーブルの上に置かれていたピンクのブーケを氷河の手の中に戻す。 「忘れ物だよ」 「これは――」 「マーマのじゃないんでしょ? 今度こそ彼女?」 「……」 自虐的だと、瞬は自分でも思っていた。 そんなことを氷河に尋ねて、肯定の言葉を聞かされてしまったら、今度こそ自分は倒れてしまいかねない――とも思った。 十数秒後に、瞬は、予測していたものとは全く別の理由で、激しい目眩いに襲われることになったのだが。 「これはおまえのだ」 そう言うなり、氷河は瞬の身体を抱き寄せ、抱きしめ、それだけならまだしも、その唇を瞬の唇に重ねてきたのである。 瞬が我にかえった時、その場に氷河の姿はなく、瞬の手には小さなピンク色の花でできたブーケだけが残されていた。 |