その日その瞬間から、瞬は氷河を避けるようになった。
氷河がこれまでそうしていたように“優しく”してやっても、瞬は身体を強張らせて顔を伏せ、やがてはその場から逃げ出すことになる。
氷河は、瞬の様子が以前と違うことに気付いてはいたのだが、瞬がそんなふうになってしまった理由や経緯を知るよしもない彼は、相変わらず瞬の身辺に気を配り、“優しく”できる機会を見付けては、カワセミのオスのごとく、オナガセアオマイコドリのオスのごとく、庭師鳥のオスのごとく、せっせせっせと瞬のために これ努めていた。

そんな氷河の様子に、星矢と紫龍は同じオスとして言いようのない哀れを覚え、また罪悪感を感じることになったのである。
だが、この手のことに関しての決定権を有しているのは、氷河ではなく、彼の仲間たちでもなく、瞬ただひとりだけなのだ。
他の誰も、この現状を覆すことはできないのである。

その現状――星矢と紫龍の責めるような目と、以前と変わらぬ氷河の親切――に、最もいたたまれない思いを味わっていたのは、しかし、他の誰でもない瞬当人だった。
星矢と紫龍は 瞬が氷河に冷たく当たることを無言で責め、何も知らない氷河の眼差しは以前と変わらずに優しい。少なくとも瞬にはそう見えた。
こんなつらい状況が他にあるだろうか。
だが、実際に 感謝の気持ちとは異なる特別な感情を氷河に抱きかけていただけに、彼の真の目的を知らされた瞬の衝撃と、それに伴って瞬の中に生まれた嫌悪感は大きかったのだ。


城戸邸が再び敵の襲撃を受けたのは、城戸邸内のセキュリティシステムの改善が為された翌日、瞬が氷河を避け始めてから10日が経ったある日の午後。
色々なことが重なって、平常心を保ち続けるのもそろそろ限界――という状態になっていた瞬は、その日、いつになく攻撃的だった。
門や守衛室に取り付く隙も与えられないまま、敵は瞬のチェーンの攻撃を受け、次から次へと倒されていく。
その躊躇のない迅速な瞬の攻撃は、星矢や紫龍があっけにとられるほどだった。
「今日は氷河の出番がないな」
「俺たちの出番もないようだ」

無論、か弱い雑兵が相手である。
瞬は彼等にとどめを刺してはいなかった。
が、その手加減がいつもより甘いのだ。
瞬の手にかかって倒された敵は、そのほとんどが一撃で意識を失うほどの打撃を受け、再度立ち上がることのできる者はいなかった。

だから、瞬は油断していたのである。
アテナの聖闘士の中に星矢がいるように、敵の中にも、倒されても倒されても不屈の闘志で立ち上がる者が存在する可能性に、瞬は思い至っていなかった。
「うおおぉぉ〜!」
一度は瞬のチェーンによって地に倒れ伏した敵方の星矢もどきが、主人公張りの雄叫びをあげて瞬の背後から拳を打ち込んでくる。
瞬が、たかが青銅聖闘士と侮ってその闘志の前に敗北を喫した黄金聖闘士のようにならずに済んだのは、彼が黄金聖闘士たちとは異なり一人で闘っていたわけではなかったからだった。

「瞬、よけろっ!」
自らの油断に気付いて はっと後ろを振り返った瞬が見たものは、星矢もどきの拳から身を挺して仲間を庇い地に倒れていく氷河の姿と、星矢もどきに向かって流星拳を放った本物の星矢の姿だった。
「氷河っ!」
頬を蒼白にして氷河の側に駆け寄った瞬は、しかし、彼を抱き起こすために その手を差し延べることができなかったのである。

窮鼠猫を噛むのたとえもある。
この世に絶対安全な戦いなどというものは存在せず、それはいつも命懸けのことなのだ。
瞬は自分自身の油断を悔いていたし、その慢心を恥じてもいた。
だが、それ以上に、仲間を庇って倒れた氷河の姿を目の当たりにして混乱してもいたのである。
彼が、その身を投げ出してまで仲間を庇ったのも、あの下劣な目的のためなのだろうか――と。
だとしたら、氷河はどうしようもなく愚かで浅ましい人間だと思う。
そして、その下劣な人間のおかげで命拾いをした自分が、たとえようもなく卑小な存在に思えて仕方がない。

意識を失って倒れている氷河と、彼の横に呆然と立ち尽くしている瞬。
そんな2人の代わりに、それまで見物人を決め込んでいた星矢と紫龍は、小宇宙全開で敵の撃退に当たることになった。






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