その夜、とりあえず すべきことを一度済ませてから、少なくともその身体と感覚だけは すべてを恋人の前にさらけだしてくれた瞬に、氷河は尋ねてみた。
「おまえは俺の顔が好きなのか」
「顔も好きだよ」

交合の余韻を全身に漂わせた瞬が、問われたことに答える。
答える瞬の瞳も声も唇も――それらはまだ熱を帯びて潤んでいた。
確かに瞬は、彼の恋人を受け入れているし、恋をしてくれてもいるのだろうと思う。
でなかったら、本来は不自然なはずのこの交わりで、瞬が快感を感じ、その感覚に支配されてしまうはずがない。
氷河に与えられるものに進んで我が身を浸し、その快楽にのたうつ時の瞬の激しさには、瞬を愛撫している氷河の方が圧倒されてしまうことがあるほどだったのだ。
しかし、その恋の根拠が外見への好意だという事実は、それが儚く移ろいやすいものであることを知っているだけに、氷河は好ましく思うことができなかったのである。

「それだけか」
「氷河も、僕が氷河のどこを好きなのか知りたいの? そんなこと知って、どうするの」
「おまえに好かれ続けるために、そこを維持しようとか、更に磨こうとか、いろいろできることはあるだろう」
「そんなことしなくても――」
乱れた息を整えるために 氷河の横で、僅かに氷河から離れて仰臥していた瞬が、右の肩を下にして身体の向きを変える。
氷河の横顔を見ながら、瞬はなだめるように彼に告げた。

「人はね、誰かを好きでいないと生きていけないの。それが僕にとっては氷河だっただけ」
「……」
瞬の言葉に、氷河は納得することができなかった。
むしろ、はぐらかされているような気がした。

「好きな相手がいない人間もいるだろう。孤独を好む奴とか、孤高を気取る奴とか」
「そういう人は、自分が好きなんだよ」
「自分が嫌いな奴もいる」
以前の自分のように――と言葉にはしなかったが、それは かつての氷河自身のことだった。
親しい者たちを失い――というより、己れの手で消し去り、そのために傷付いた心を瞬に抱きとめてもらう前の。
もう二度と 誰かを自分以上に愛すまいと自身に戒めていた氷河に、瞬は、『僕は強いから、氷河を残して死んだりしないよ』と言ってくれたのだ。
その瞬が――。

「そういう人も、おんなじ。自己嫌悪は自分を熱愛していることの裏返しだよ。そういう人は、自分はこうありたいっていう理想の自分になれない自分に苛立っているだけで、ほんとに自分が嫌いなわけじゃないんだ」
瞬の分析は当たっている――と、氷河は思った。
しかし、それは、最初に氷河が投げかけた質問への答えにはなっていない。

「――俺は俺のどこを磨けばいいんだ」
「氷河は、氷河のあるがままでいてくれればいいよ」
「それは、俺のように欠点だらけの人間には最悪のアドバイスだ」
どうしても声音が険悪なものになる。
不機嫌の色の濃い氷河の反駁に、瞬は一瞬きょとんとした顔になった。
それから、いかにも こらえきれずに笑ってしまったと言わんばかりの笑みを作る。

「氷河、時々、自分をすごく賢い人間だと思うことはない?」
「ない」
それは嘘ではなく、ましてや謙遜でもなかった。
しかし、瞬は、恋人のぶっきらぼうな声に臆した様子もなく、相変わらず楽しそうに笑っている。
「やっぱり、僕、氷河が好きだな。氷河は頭もいいよ」

苦笑しながら、瞬がその手を氷河の胸に伸ばしてくる。
まもなく瞬はその笑みを途切らせてしまったので、氷河は瞬が何を求めているのかに気付いた。
自分の胸の上にある瞬の手に触れ、次にその手首を掴んで引き離し、自身の身体の向きを変えて 瞬の上に覆いかぶさる。
「ああ……!」
その重みが既に愛撫になるらしく、互いの胸と胸が触れ合うだけで、瞬は切なげな喘ぎ声を洩らした。

たとえ小難しい哲学談義を交わしている時でも、2人のベッドの上にいる時の瞬はいつも その身体の奥を疼かせている。
その上 今夜は、既に一度 瞬はそこに氷河を受け入れているのだ。
手の込んだ愛撫を与えてやらなくても、瞬はすぐに身体を開き、自ら腰を浮かせて、氷河を誘ってきた。
瞬の面差しに まだ幼さが残っていることが逆に、瞬のその姿と仕草を扇情的に見せる。
何も知らなかった瞬をそんなふうにしたのは自分なのだということを忘れて、氷河は不思議に艶めかしい瞬に苛立ちを覚えた。

「おまえはまさか、俺のこれが好きなんじゃないだろうな」
「あ……こ……れって?」
「だから、これだ」
瞬の下半身を必要以上に高く持ち上げるようにして、瞬への答えを勢いよく瞬の中に突き刺す。
「あああっ!」
その衝撃の大きさに一瞬全身を硬直させて、瞬は悲鳴をあげたが、それは最初から歓喜の声だった。

一度瞬の中に入ってしまえば、あとは氷河を受け入れることに慣れた瞬の内奥の肉が、瞬の舌や唇や指の代わりに、そして それらのものより巧みに、氷河を刺激し煽ってくる。
それでも氷河が自ら動き始めるのは、その時・・・を先延ばしにするためであり、自分が達するためではなく、瞬をいかせるためだった。

氷河の律動に従って、瞬の喘ぎが間歇的になる。
氷河に激しく揺さぶられて、瞬はその意識を手放しつつあった。
「瞬、正直に――」
瞬の正直な答え――つまりは否定――を期待して、氷河が促すように瞬の名を呼ぶ。
「瞬」

ほとんど喘ぎに埋もれて瞬の唇が洩らした答えは、しかし、氷河の期待に反するものだった。
「これ……も好き……ああ……!」
息をするのも苦しそうに胸を大きく上下させ、固く目を閉じて、瞬はかすれた声でそう言った。

萎えていい言葉だと思うのに、氷河の欲望は瞬の中で ますます強く大きく膨らんでいく。
瞬を正直にするつもりだった氷河の肉体は、既に瞬の身体の支配下に入り、瞬が望むようにだけ動くようになっていた。
「氷河、好き……大好き」
だからもっと強く、もっと奥までと望む瞬の身体の命令に、結局氷河は逆らえない。

こうなってしまうと、間断なく与えられる快楽に耐え切れなくなった瞬が その終結を望む時まで、自分の身体は瞬の奴隷だということを、氷河はこれまでの経験から嫌になるほど知っていた。
瞬をこういうふうにしたのは自分だという自負があるからこそ耐えられる隷従は、いつもなら氷河に大きな満足を与えるものだった。
もちろん、その夜も、氷河は大いに満足し、これ以上ないほどの充足を得ることができた。
瞬が好きでいるらしい“綺麗な”肉体でだけは。






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