瞬が選んだ『人がいっぱいいるところ』は、G座の休日の歩行者天国だった。 いつもなら同性に不躾な視線を向けられることを嫌って、人の多いところには滅多に出ようとしない瞬が、今日は、巨大デパートが立ち並び、それゆえ人通りが最も多い通りの真ん中を嬉々として闊歩している。 瞬の目的は純粋に、地味な顔の恋人を 道行く人々に見せびらかすことらしく、どこの店に入るでもなく、ただひたすら歩行者天国で賑わう街の往来を行き来することを続けていた。 もちろん瞬は、いつもの通りに 多くの通行人の注目を浴びていた。 氷河もそれは同様だったのだが、その注目の内容がこれまでとは全く違っている。 氷河を見る者たちのほとんどは、まず瞬に目をとめ、それから瞬が腕を絡めている男の方に視線を移し、 『なぜこんなに可愛い子が、こんな地味で平凡な男とくっついてるんだ?』 と、言葉にはせずに目で語るのだ。 彼等の胸中の声が聞こえているはずはないが、氷河に向けられる視線の内容がいつもと違っていることには、瞬も気付いているらしい。 「ふふふ。氷河、キスしてくれる」 機嫌のよさそうな笑みをその顔に浮かべ、瞬は突然、普段の彼なら決して言わないはずのことを口にした。 「ここでか」 大通りの真ん中である。 晴れた休日の歩行者天国は、5秒と置かずに見知らぬ通行人たちとすれ違うほどに人通りも多い。 氷河が、瞬の正気を確かめるように尋ねると、瞬は大真面目な目をして、 「いや?」 と、氷河に反問してきた。 「俺は構わないが、おまえが嫌がりそうだと――」 「平気。今、氷河は地味な普通の顔をしてるの。目立たないの。国会議事堂の真ん前でキスしてたって、きっと誰も気にとめないよ」 そう言う瞬自身が目立つ存在であることを、当の本人は失念しているらしい。 瞬の意識は今、地味で普通の顔をした恋人にだけ向けられていた。 氷河は正直、悪い気はしなかったのである。 もとより人の目を気にする氷河ではない。 彼は大通りの真ん中で、ほとんど覆いかぶさるようにして瞬を抱きしめ、挨拶どころでは済まない長く入念なキスにとりかかった。 通り過ぎる人々はさぞやびっくりしているだろうと思いはしたが、瞬がその事実を嫌がっていない――認識していない――のなら、他人の思惑など、氷河にはどうでもいいことだった。 見ていいのか悪いのかの判断に迷い、視線を逸らしつつ横目で氷河と瞬のキスシーンを窺い見る人々の中で、氷河は思う存分 瞬の唇を堪能した。 氷河が、ゆっくりとその唇を離す。 瞬は、その戯れの感触の余韻を味わうように、しばらくの間 目を閉じていた。 伏せていた瞼を、やがて思い切るようにして開けた瞬が、得意満面としか言いようのない笑顔を 氷河に向けてくる。 「ロバート・ドアノーの『市庁舎前のキス』って知ってる? 僕たち、あの写真の中の恋人同士になったみたい」 「……」 世界で最も有名なキスの写真を引き合いに出して微笑む瞬の唇に、もう一度かぶりつきたい。 その衝動をなんとか抑えきって、氷河は瞬に尋ねたのである。 「おまえ、まさか、人前でキスしたいから、俺の顔を地味にしたんじゃないだろうな」 「僕が、そんなくだらない理由で、勝手に氷河の顔をどうこうしたりするわけないでしょう。氷河、僕のこと、馬鹿だと思ってるの?」 「いや」 それが“勝手”だということは、瞬も自覚しているらしい。 それでも断行したというのなら、それは、勝手をされる男のためになると考えてのことなのだろう。 その理由を、氷河は追求しなかった。 瞬は嬉しそうだし、地味で普通の顔をした男が自分の恋人である状況を、大いに気に入っているらしい。 その上、人前でのキスが平気になった瞬は、夜には夜で、これまで通りに、地味な顔をした恋人を その身の内に迎え入れてくれた。 瞬の勝手を責めたくても、氷河は自分の顔が地味である現実に、何の不満も不都合も感じることができなかったのである。 当然の帰結として、瞬を責めるための言葉も思いつかない。 かくして氷河は、地味で目立たない平凡な顔をした自分という現実を、抵抗らしい抵抗を感じることもなく受け入れてしまったのだった。 |
■ ロバート・ドアノー 『市庁舎前のキス』
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