「偶然ということもある」
氷河は、そうなっても一向に、そのノートをホンモノと認める気配を見せなかった。
対して星矢はかなり本気になりかけていた――のかもしれない。
もともと星矢は、祭りは参加するもの、御輿は担ぐもの、阿波踊りは踊るもの――という信念の持ち主なのだ。
面白そうなことにはすぐに飛びつくことを、座右の銘としていた。

「じゃ、また別の2人で試してみようぜ。今度は人間で」
「よくないよ、やめようよ!」
星矢の『人間で』という言葉に慌てた瞬は、すぐさま彼を押しとどめようとしたのだが、こういう時の星矢は、双児宮での氷河より行動が迅速である――つまりは、あとさきを考えない。
彼は、あっというまに今度は人間の名をノートに記してしまっていた。
すなわち、
『田中花子は山田太郎と恋に落ちる』
――と。

聞いたことのないその名に、瞬はきょとんとしてしまったのである。
「それ、どこの誰なの?」
まるで『日本の苗字10傑』の中から選んできた苗字と、日本の超伝統的な男女の名を組み合わせたような その二つの名前は、瞬には当てずっぽうで書いたものとしか思えなかった。
というより、当てずっぽうで書いたのだと、瞬は思いたかったのだ。
しかし、事実はそうではなかった。
星矢は悪びれる様子もなく、田中花子さんと山田太郎くんの出自を、瞬に説明してくれたのである。

「ヤマダタローの方は、今 星の子学園に屋根の修理に来てる工務店のおっさんだよ。前にリフォームの仕事した金持ちんちのお嬢さんのハナコさんに ずっと片思いしてるんだってさ。ハナコさんて、おっさんより10歳も年下なんだよな。こんなおっさん相手にしてもらえるはずがない……って、ずっと声も掛けれずにいるんだと。名前が個性的なんで憶えてた」
“個性的”の定義について、星矢の見解を確かめている場合ではない。
星矢は実在の人物の名を、そのノートに書いてしまったのだ。
その事実を知らされた瞬の頬は、ノートの力を信じていない者たちの目には奇異に映るほどに 青ざめていた。


「――冗談みたいな話なんだけど、おっさんとハナコさん、うまくいったらしい。昨日、ハナコさんが突然おっさんのボロアパートを訪ねてきてさ、ありえねーくらい積極的におっさんに迫ってきたんだと。おっさん、屋根から足を踏み外しそうな勢いで浮かれてた……」
そう告げる星矢の足取りこそは、地球から足を踏み外してしまうのではないかと思えるほど覚束ない。
星の子学園で仕入れてきた情報を星矢が仲間たちに報告してきたのは、彼がラブノートにタローくんとハナコさんの名を記した3日後のことだった。






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