「なあ、これ、ほんとにホンモノなんじゃねーか?」
ピー子ちゃんと彼女の彼氏の時には、星矢はまだ半信半疑だった。
だが、今度 そのノートに書かれた通りに恋に落ちたのは、紛う方なき人間である。
しかも、その二人は、気弱な中年男性と裕福な家の美貌の若い女性。普通に考えたなら、その人生が交わることは まずありえないような組み合わせの二人なのだ。

何事かを信じかけている人間は、その事象を否定する材料より、確信に至らせる材料を求めるようにできている。
思いがけない展開に目を剥いている仲間たちの前で、星矢は突然 至極真剣な目をして、問題のノートのページを繰り始めた。
2組の恋人同士の名を彼が記したページからさかのぼって、そこに書かれている多くの名を追いかけていた星矢は、ノートのかなり前のページに見知った名を発見したらしい。

「俺、この2人知ってる……」
星矢が指し示したページを、瞬が恐る恐る覗き込むと、そこには、
『白猫大和は田川急子を好きになる』
という一文が記されていた。
「城戸邸によく来る宅急便のにーちゃんと、にーちゃんのモトカノだ」
それはどこの誰なのだと瞬が尋ねる前に、星矢は、その2人が何者なのかを瞬に教えてくれた。

星矢によると、白猫大和なる人物は、関東一円で相当のシェアを占める運送会社の従業員――いわゆる“宅急便のおにーさん”らしい。
とはいえ、その正体は運送会社シロネコヤマト株式会社の社長令息。現場を知らずして会社経営は不可能という父親である現社長の方針に従って、彼は毎日ネコマーク付きの軽トラックで荷物を運んでいたのだそうだった。
その社長令息が、ある日突然、商売敵の家の社長の孫娘にとち狂い、配達すべき荷物を放り出して、彼女につきまといだしたのである。
どこで知り合ったのか、孫娘の方も彼を憎からず思っていたらしく、若い2人はすぐに恋仲になった。

両家の親たちは当然のことながら二人の結びつきに猛反対をしたのだが、2人の意思は固かった。
やがて二組の親たちは若い2人の情熱に根負けし、本気で両社の合併を考えるほどになったのである。
ところが、事態がそこまで進展したところで、2人は些細なことで喧嘩別れし、合併話はあっさりと流れてしまった――。

2人の決別は、真夏に屋外で食するアイスクリームが溶けてしまうように急速なものだったらしい。
2つの会社の経営陣・従業員やその家族を考慮すれば数千人の生活に影響を及ぼしかねない恋愛騒動は、かくして、大山鳴動してネズミ一匹出すこともなく収束してしまったのである。
気まぐれなキューピッドか不思議なラブノートがその力を振るったとでも考えなければ、あまりに不自然な その騒ぎは。

「もし、これがホンモノだとして――」
と前置きする紫龍は、星矢の話を聞かされても、どこまでも慎重だった。
ホンモノならなおのこと、その玩具で『遊ばにゃ損損』という考えの天馬座の聖闘士に対し、龍座の聖闘士は『触らぬ神に祟りなし』という考えの持ち主だったのだ。
「人が人の心を操るのは、非常に危険かつ無意味だということだな」
「沙織さんに頼んで封印してもらったら」
紫龍のその発言を受けて、瞬が心配顔で仲間たちに提案する。

「こんな面白いものを、なんで!」
遊び心を欠いた生真面目な仲間たちに、星矢は大いに不満を覚えたらしい。
そんな星矢に、瞬が反論する。
「面白くなんか!」
瞬の声は気色ばんでいた。
「ちっとも面白くなんかないよ!」

いつになく きっぱりとした口調で断言する瞬に、星矢は両の肩をすくめてしまったのである。
面倒を起こしそうな神には触らぬ方針のはずの紫龍までが、瞬の断固とした態度を奇異に思ったようだった。
「しかし、『永遠に』とでも書かない限り、このノートに書かれたことは、本当に一時の気の迷いで済むようだぞ。このノートは二人の人間に好意を抱き合った出会いを提供するだけで、与えられた機会に真実相手の心を掴んでしまわないと無効のようだし」

慎重論から一転して柔軟な姿勢を打ち出し始めた紫龍の言葉に、星矢が調子づく。
我が意を得たりと言わんばかりに、彼は、大袈裟に大きく幾度も首を縦に振ってみせた。
「そうそう。それって、友達や家族が当人2人の周りで わいのわいの騒ぐのと大して違わないだろ。単なるお見合いセッティングみたいなもんだぜ。別に憎み合えだの 殺し合えだのって書くわけじゃないんだしさ。いいことじゃん。人類が2人、互いに好意を抱き合うんだ」

「でも、それは……」
それはその通り――である。
このノートには、当人の手によってであれ第三者の手によってであれ、確かに好意に基づく願望しか記されていない。
それでも瞬は、2人の仲間に反対だったのだ。
味方を求めるように、ちらりと視線を氷河の方へと巡らせ、瞬は氷河に尋ねた。
「氷河……氷河は、こんなのがあっちゃいけないって思ってるよね?」

しかし、氷河は瞬の味方にはなってくれなかった。
そんなノートには興味もなく、また必要性も感じていないと明言していた氷河が、ふいにその意見を撤回する。
「このノートに自分の名を書こうとは思わないが、このノートに名前を書かれた奴等のその後には興味があるな」
「そんな……氷河が他人の恋に興味を持つなんて……」

あまりに思いがけない氷河の言葉に、瞬は呆然としてしまったのである。
そんな瞬の上に、更に衝撃的な言葉が降ってくる。
「俺も恋をしているからかもしれない」
氷河の低い呟きに、瞬はびくりと身体を震わせた。
そして、瞬はなぜか、項垂れるように顔を伏せてしまったのだった。






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