「俺は、こんなものを手に入れたら、おまえこそが張り切って、世の中の報われない恋をしている奴等の救済に乗り出すものだとばかり思っていたが……。まだ何ページも使えるぞ」
紫龍は仲間たちの間で孤立してしまった瞬を力付けようとしたのではなかっただろう。
無論、こんなノートなど使うべきではない・存在すべきではないという瞬の考えを変えさせるつもりもなかった。
だが、彼は、瞬の頑なさを意外だとは思ったのである。
もし人と人を――憎み合っている人と人をも愛で結びつけることのできる力が目の前にあったなら、瞬はその有効利用を考えるものとばかり、彼は思っていたのだ。

ノートの未使用分を瞬に示すために、紫龍がぺらぺらとページを繰ってみせる。
その所作が軽薄なものに思えたのか、瞬はひったくるようにして、紫龍の手からそのノートを奪い取った。
「僕は、人の恋になんて興味ないもの! そういうことって、第三者が口出しするようなことじゃないでしょ!」
瞬が、叫ぶように訴える。

瞬がいつもの瞬ではないと、紫龍同様 星矢も思った。
理由はわからないが、いつになく昂ぶっている瞬の気持ちを落ち着かせるために、軽い冗談を口にする。
「ま、瞬に書かせたら、全人類が互いに恋し合うように、とか馬鹿なこと書きそうだもんな」
「多夫多妻制か。それが実現してしまったら、破綻する宗教や法律が出てきそうだな」
「めちゃくちゃなことになるよな〜」

星矢の冗談に、紫龍は冗談なのか本気なのかの判別が難しい真顔で頷いた。
「そんなことになったら、一夫一婦制を謳っている宗教・法律だけではなく、一夫多妻制もアウトだろう。日本の民法も破綻の危機に陥るな。民法の夫婦間の貞操義務が有名無実になるわけだ」
「テーソー義務? 今だって、そんなのないようなもんなんじゃねーの? 少なくとも日本では」
「民法770条第1項第1号――少なくとも法律上では存在するし、大いに活用もされている。浮気を離婚の理由として申し立てられなくなるのは、存外に不便なものだからな」
「へえ、そうなんだー」

冗談を発展させる際の相方に紫龍を選ぶと、今ひとつ笑えない冗談ができあがる。
こんな“冗談”で果たして瞬の気持ちは和らぐのだろうかと懸念しつつ、星矢が横目に瞬の表情を窺うと、案の定、瞬の頬はますます強張り青ざめていた。
星矢は慌てて、紫龍との冗談を打ち切ったのである。
「でも、それだって、『永遠に』なんて書かなきゃいいだけのことだろ。だから、これって、困った時の神頼みの絵馬みたいなもんなんだよ」

瞬がその手から取り落としそうになっているノートを引き取ると、星矢は、常とは違う様子の瞬ではなく氷河の方に向き直った。
白いページが あとどれだけあるのかを確認するように、ノートを背表紙の方から繰り始める。
「おまえが書けないなら、俺が書いてやろうか。『瞬が氷河に夢中になる』って――あれ?」
「だめーっ!」

瞬の悲鳴がラウンジ内に響くのと、問題のノートの最後のページに文字が書かれていることに星矢が気付くのが、ほぼ同時だった。
瞬が向きになってノートの使用を押しとどめていた訳を、その時星矢は初めて知ったのである。
そこには、臆病に感じられるほど小さな文字で、ごく短い文章が記されていた。
『氷河が瞬の気持ちに気付いてくれますように』――と。
それが、どう見ても瞬の字だったのだ。






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