『同一戸籍内の者と同一の名をつけることはできない』(昭和10年10月5日 民事甲第1169号) この場合の『同一の名』とは、『同じ文字で形成された名』ということである。 すなわち、『一輝』という名を、一方は『いっき』と読み、もう一方は『かずてる』と読む場合でも、それらは『同一の名』とされる。 何事も書類で処理される日本国では、字面が同じ名が同一戸籍上に存在することは混乱の元なのだ。 しかし、これは、届け出られる名の字面が違いさえすれば、書類上の不備にはならないということでもある。 つまり、読み方が同じでも文字が違えば、その名は同一戸籍内での存在が許されるのだ。 それを面白がって逆手に取ったのが、瞬たちの 今は亡き両親だった。 長子の誕生から10年後に授かった双子の息子たちに、彼等は、『瞬』という名と『俊』という名をつけたのである。 読み方はどちらも『しゅん』 そういうわけで、城戸家には『しゅん』という名の二人の子供が存在することになったのだった。 瞬と俊は一卵型二卵性双生児だった。 排卵された一卵が受精前に分裂して二卵になって誕生する双生児。 そのDNAは75%が同じものになる。 事実、瞬と俊は、髪の色が微妙に違う他は、一卵性双生児といっていいほどに、その外見上の特質はほぼ同じだった。 ――外見だけは。 二人は長ずるに従って、まるで自らの片割れとの差別化を図るかのように、その性格が異なっていったのである。 戸籍上は次男となる瞬は、争いごとが嫌いで穏やか。 三男となる俊は、瞬とは反対に ひどく攻撃的で激しい。 瞬と俊は、本来なら二人の人間に半分ずつ与えられるはずだった、静と動、陽と陰、緩と急といった要因をそれぞれが片方だけ選び取ったように対照的な性向を持つ双子だった。 人間の性格形成は、主に成長過程での環境に由来すると言われている。 そこに幾許かの遺伝的要素が加わる。 ほぼ同じ遺伝子を持ち、同じ家庭環境の中で育った二人の性格が際立って違う双子。 両親を早くに亡くした二人の場合の“環境”は、親から与えられた教育や躾ではなく、互いの存在であったろう。 同じ顔をしたもう一人の自分に影響を受け、また影響を与えて、一つの卵から生まれた二人の人間は別々の個人になっていったのだ。 しかし、二人がそれほどまでに対照的なのは、あくまでも性格だけのことだった。 その外見は――美醜に関しては、二人はどちらも――双子だから当然なのだが――二人に出会った誰もが目をみはるほどに整った顔立ちをしていた。 だが、二人が周囲の人間に与える印象は全く違う。 人間の印象というものは、面立ちそのものではなく、表情や仕草や言葉使いによって作られるものなのだろう。 一つの家庭に二人の『しゅん』がいることは、生活をしていく上で非常に不便である。 日本人にしては淡い色の髪をした瞬は、戸籍上の名の通り「瞬」と呼ばれていたが、漆黒の髪の俊は「クロ」と呼ばれることが多かった。 |