「おまえのところに持ち帰れないことはわかっていたんだろうが、取りたかったんだろうな……」 紫龍の呟きに、瞬はひどく混乱することになったのである。 愛する者の死という現実以上に 人の心を乱すものはないと思っていたのに、人の心はいくらでも取り乱すことができるようにできているらしい。 「花なんて……! 花なんか……花なんかいらなかったのにっ!」 そんなもののために――そんなことのために氷河が命を失う必要がどこにあるというのだろう。 瞬にはわからなかった。 そして、わかっていた。 氷河が死ぬことになった真の原因を作ったのは花などではない――ということが。 「僕はどうして……どうしてあの時、素直に氷河に『ありがとう』って言えなかったの。どうして、シベリアに一緒に行こうとしなかったの……どうしてもっと早く氷河を追いかけてこなかったの。どうして……」 今更悔やんでも詮無いことを、だが、瞬は悔やまずにはいられなかった。 そして、自分を責めずにはいられなかった。 何かを責めていないと――悲しみから意識を逸らしていないと――瞬は気が狂ってしまいそうだったのだ。 「氷河がこんなことになるはずないって……どうせ氷河はすぐに音をあげて謝ってきて、僕はちょっとだけ拗ねてみせて、仕方なさそうに許してあげて、それで元の通りになると……元の二人に戻れると――」 瞬は、そう思っていたのだ。 まさか、そんな詰まらない意地を張ったことが、こんな結末をもたらすことになるなどとは、瞬は考えてもいなかった。 『俺は、おまえのためにしか死なない』 いつもそう言っていた氷河が、本当に自分のせいで命を落とす事態など、瞬は想像したこともなかったのだ。 「瞬……」 瞬の後悔を消すことはできない。 それがわかっているから、星矢は、「おまえのせいじゃない」と瞬に言ってやることができなかった。 そんな おざなりの言葉は、瞬の後悔を更に深くするだけのものだろう。 代わりに、彼は、氷河の亡骸の横で立ち上がることもできずにいるらしい瞬の肩に、そっと手を置いた。 「戻ろう。氷河をどうするか考えなきゃならないし、このままここにいるとおまえまで凍え死んじまう」 「その方がいい……!」 瞬は かすれた声で叫び、星矢の手を振り払った。 それでも、瞬の仲間たちは根気強く優しかった。 「おまえは生きなきゃならない。おまえはアテナの聖闘士なんだぞ」 「氷河は僕のせいで死んだのに、どうして僕だけ生きていられるの……! 花も、地上の平和も幸福も、もう何にもいらない! 氷河がいないのに……氷河がいなくちゃ……氷河がいないのなら、僕はもう そんなものいらないっ!」 それらのものを、瞬は何よりも大切で価値のあるものだと思っていた。 自らの心に逆らって“敵”と呼ばれる者たちを傷付け倒しても、手に入れる価値のあるものだと信じていた。 だが、それらのものに価値があると思うことができるのは、それらのものを手に入れることが、愛する者のためになると思うことができるからである。 戦い勝ち取った平和と幸福の中で、自分と自分の愛する者もまた 幸福になれるのだと信じることができるからなのである。 だというのに瞬は、共に幸福になるはずだった人を、その命を、自らの手で消し去ってしまったのだ。 今の瞬には、世界のすべてが無価値だった。世界は、そういうものになってしまった――。 「けどさ……氷河だけでなく、おまえまでいなくなっちまったら、俺たちがつらいだろ。だからさ」 そう告げる星矢が、実は彼自身のつらさより、大切な人を失ってしまった仲間のつらさを思ってくれていることがわかる。 仲間の優しさが、だが、今の瞬には苦しいばかりだった。 生きて、自分を思い遣ってくれる人――そんな仲間がいなければ、自分は今すぐにでも この命を捨ててしまうことができるのに。 だというのに、仲間の優しさが、瞬にそれを許してくれないのだ。 「でも、僕はもう生きていたくない」 「うん。わかるけどさ。おまえは生きなきゃならないんだよ」 「どうして」 「とりあえず、氷河をこのままにはしておけないだろ? それから、沙織さんに報告もしなきゃならないし、おまえには、沙織さんに心配かけないように元気になって笑顔を見せられるくらいになってもらわなきゃならないし、おまえを慰めることで、俺たちも慰められたい」 「でも僕は……」 「なあ、これ以上、俺たちを悲しませないでくれよ」 「……」 これ以上 我を張り続けたら――氷河に対してそうしたように、己れの我儘を通し続けたら――星矢はおそらく泣くだろう。 仲間のつらい心に、彼自身が傷付いて、星矢は泣くだろう。 瞬は、もうこれ以上誰も、自分のせいで傷付けたくはなかった。 「僕は……生きてなきゃならないの……」 これほど大切なものを失って、それでも人は生き続けなければならないのだろうか。 すべての色が失われてしまった世界で、それでも生きていなければならない人間というものが悲しくて、瞬はいつまでも泣き続けた。 |