それまで、まともに焦点が合っていないのではないかと疑わずにいられないほど 曖昧な目をしていた氷河が、途端に、仲間に向かって明瞭な意思表示をしてくる。
彼は、はっきりと首を横に振り、きっぱりと言い切った。
「瞬はここに置く。春になれば生き返る」
発音と言葉は明確でも、氷河の発言は、その内容が超現実の極みだった。
氷河の仲間たちの心中には、それまで彼等が抱いていたものとは種類の違う危惧が生じることになったのである。

「氷河……おい、おまえ、大丈夫か?」
「そういうわけにはいかないだろう。瞬は日本人で、唯一の親族は日本にいる。埋葬は日本でしなければならないし、一輝にも最期に会わせてやらなければならない」
星矢は氷河に心配そうな目を向け、紫龍は、大切なものを失って気が動転しているらしい氷河に 常識的な判断力を取り戻させるべく、彼を諭した。
紫龍の声音は、説得するというより 慰撫する色の濃いものだったのだが、氷河にはそれは許し難い“常識”だったらしい。

「貴様等、瞬の身体を焼くつもりかっ! 瞬を土の下に埋めるつもりなのかっ !? 」
彼はまなじりを吊り上げて、彼に同情しきっている仲間たちを責め、なじり始めたのである。
「よく そんなことを考えられるなっ! 瞬は、いつも夜の闇だって恐がっていたのに……!」
その腕に、動かぬ恋人の亡骸を抱きしめ、強烈な飢餓に我を忘れている真冬の狼のような目で、氷河は仲間たちを睨みつける。
星矢は、人間であることを放棄しかけているような氷河が 哀れでならなかった。
手を差し延べれば噛みつかれることがわかっているのに、手を差し延べずにはいられない。

「氷河、でもさ……。でも、それが人が死ぬってことだ」
「瞬は誰にも渡さない。瞬は俺のものだ!」
「氷河、おまえ、少し冷静になれよ……! 瞬はさ、瞬は……」
氷河への憐憫から来る星矢の忍耐力は、しかし、長くは続かなかった。
この現実に、冷酷な運命の仕打ちに、憤りを感じているのは氷河だけではなかったのだ。

「ガキみたいに、いつまでも我儘言ってるんじゃねえっ! 馬鹿野郎! 泣きたいのは俺の方だっ!」
氷河より半日も早く不吉な知らせを受け、大きな不安と 万に一つの希望を抱いてここまでやってきたのに、その希望を打ち砕かれたのは、氷河ではなく星矢たちの方だったのだ。
「瞬はおまえだけのもんじゃねえんだよ! 一輝がいるし、沙織さんもいるし、おまえは、死んでからも瞬をおまえの我儘に付き合わせるつもりなのかっ!」

星矢の怒りの声は、氷河の心と耳の中で響いていた重苦しい海鳴りの音を 打ち払い、遠ざけるものだった。
瞬の死を悲しみ 憤っている者は自分だけではないのだということに、氷河が初めて気付く。
それでも――そのことに気付いても――、同じ悲しみを悲しみ、同じ憤りを憤っている仲間たちを思い遣れるほどの力を、氷河は取り戻すことができなかった。

「俺は……だが、俺は、瞬なしでは……どうやって生きていけばいいのかわからない――闘えない。生きることの意味もわからない」
すべてを失い、すべての人を失い、やっと見付けることのできた新しい唯一の希望。
氷河にとって、瞬は、そういうものだったのである。
「瞬がいたから、俺は――瞬が平和を望むから、瞬が幸福を望むから、だから俺は、そういうものには価値があるんだろうと思っていた。聖闘士として闘うことにも、俺が生きていることにも、きっと意味があるんだと、俺に思わせてくれていたのは瞬で――」
その大切なものが失われてしまったのだ。
その瞬の命が消えてしまった――。
「俺は……俺は、瞬がいたから迷わずに闘ってこれたんだっ!」

仲間たちが自分の死を悲しまないこと。
その死を乗り越えて、仲間たちが生き、戦い続けること。
それが瞬の望むことだということは わかっている。
だが氷河は、自分が生きていく術を、既に忘れてしまっていた。






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