与えられた仕事に励んでいる振りをしないと、大伯父の機嫌が悪くなる――かもしれない。 そうなれば、ヒョウガの金まわりにも支障が出てくる。 そういう至って実際的な理由から、ヒョウガは枢機卿に命じられた仕事に励む振りをした。 シュンが閉じ込められている牢獄に足繁く通うことで。 女将の断固とした拒絶を受けてから、枢機卿の命令を成し遂げるための策の一つも、ヒョウガは持ち合わせていなかったのであるけれども。 綺麗なだけのただの子供だと思う。 それでもヒョウガは、尋常でない清らかさと犯し難さを、シュンの上に見ないわけにはいかなかった。 シュンはといえば、なぜか彼はヒョウガの訪問を嫌がっていないようで、ヒョウガがその牢獄の扉を開けるたびに、彼は嬉しそうな表情をヒョウガに向けてきた。 もう2年も人に触れたことがなかった――。 女将がシュンに言われたという言葉を思い出して、彼の弱点は、確かに女将が言っていた通り『寂しさ』なのかもしれないと、ヒョウガは思ったのである。 シュンは、ほんの2年前まで、両親に慈しまれ、おそらくは他の多くの者たちにも愛され、この世に孤独などというものが存在することすら知らない幸福な王子様だった少年である。 それも致し方ないこと――と、ヒョウガはシュンの弱みに同情した。 「おまえの望みは、母の胎内から生まれたままの清らかさを保ち、世界を支配することか」 ヒョウガが問うと、シュンは一瞬のためらいもなく、首を横に振った。 「肉体は汚れても、心を汚すことなく生きていることです。そして、僕の心を慰めてくれる人が一人だけ 側にいてくれればいい」 その たった一人が、今のシュンの側にはいない。 その たった一人を手に入れるためになら、人は――シュンでさえ――罪を犯すのかもしれない。 利用できる“ネタ”だと思うのに、ヒョウガはなぜか、シュンが孤独だという事実に憤りを覚えずにはいられなかった。 「僕みたいな子供の何を恐れているのか――。僕の望みなんて、そんなささやかなものなのに」 一人ぽっちのシュンが、寂しげに その瞼を伏せる。 ヒョウガは、以前 ある町の教会で見た、“聖母の画家”と呼ばれる男の描いた 若く美しい処女マリアの姿をシュンの上に重ねた。 綺麗すぎるのだと――馬鹿げた伝説を一笑に付してしまえないほど美しすぎたのがシュンの不運だったのだと、ヒョウガは思ったのである。 腐敗しきった教皇庁の者たちにこの美しさがわかるのかどうか、彼等も自分と同じ感懐をシュンに対して抱くことができるのかどうか――は、ヒョウガには察することもできなかったが、他に考えようがない。 「教皇庁の者たちは、世界を支配する力など恐れてはいないんだ。奴等は、そんな力が本当に存在するのなら、自分の野望のために利用することしか考えないだろう。奴等が恐れているのは、おまえの清らかさだ。おまえを見ていると、人は自分の罪を思い起こさずにはいられない。神の前で己れの偽善を暴かれ、永劫の地獄に堕とされることを恐れているあいつらは、おまえの清らかさが自分の罪を映す鏡に見えるんだ。おそらく」 「あなたは神の裁きが恐くないの」 「ヒョウガだ」 「ヒョウガは恐くないの」 「自分の犯した罪だ。報いを受ける覚悟はできている」 そう答えてから、ヒョウガは、『俺の犯した罪など 詰まらないものばかりだしな』と、自嘲気味に言葉を付け足した。 「しかし、教皇たちは違う。覚悟できないほど大きな罪を犯している――ような気がしているんだろう、奴等は。己れの欲望を神の名で覆い隠して、形ばかりは神に従い、法に従い、自分たちの手は直接汚さず、他人に罪を押しつけて自分の罪を認めまいとしていることが、奴等の最大の罪だろうな。罪を自覚し、涙と心底からの改悛を求める主の教えに背いているんだから。奴等は、へたに神の教えに通じているから、己れの罪深さにも薄々気付いている。だが、臆病だから認めることができないんだ」 教皇庁の者たちを責めるヒョウガは、表向きの清廉潔白も装っていない――見るからに罪人の様子をしている。 だが、シュンは、ヒョウガの外見と言葉の矛盾を指摘することなく、やわらかく微笑んだ。 そして、言った。 「ヒョウガは、聖職者には向いていないかもしれないけど、人を理解し、救うための手助けはできると思います」 「それが本来の聖職者の仕事だろう。昨今は、教会内での地位の獲得と維持にやっきになるのが聖職者の仕事と思われているようだが。俺は一門の者たちに、“神に背く者”と言われている。だが、俺が背いているのは地上の神にすぎない。俺は、神に背く者たちが企む悪事に加担したくはない」 だから、ヒョウガは約束された地位に執心せず、これ見よがしに我が身を悪徳に染めてきたのだ。 そのやり方が、大伯父たちには子供じみた反抗としか思われていないことは、ヒョウガも承知していた。 そして、その意思に関わらず、結局ヒョウガは、汚れた地上の神とその取り巻きたちが支配する世界で生きていくことしかできないのだ――。 |