living






俺が生き続けてきたのは、瞬がそれを望んでいたからに他ならない。

『約束しよう。必ず生き延びるって。もし二人が揃って生き延びることができなくても、生き延びた者は死んだ者の分も生き続けるって。そんなことになっても、絶対に死んだりしちゃだめだよ。 生きていれば、必ずいいことがあるからね』
大きな戦いが始まる前夜には、瞬は必ず俺にそう言った。
親しい者たちをすべて失った俺が、ほとんど唯一の最後のよりどころとして 瞬に依存して生きていることを、瞬は気付いていたのだと思う。

その約束をしないと、瞬は俺に瞬を抱かせてくれなかった。
瞬は手を伸ばせばすぐ届くところにいて、もしかしたら俺たちは明日には死んでしまうかもしれない。
そんな場面、そんな時、瞬を抱きしめずにはいられない俺は、もちろん、そう言われるたび、瞬にその約束を守る誓いを立てた。
当然だろう。
もしかしたら最後になるかもしれない夜、瞬を抱かずに過ごすなんてことが俺にできるはずがない。

そして、あの冥界での戦い。
冥府の王の野望を打ち砕いた俺たちは、光のない暗い冥界から光あふれる世界へと戻ってきた。
アテナと、死に瀕するほどの重傷を負った星矢と、紫龍と俺。
闇の支配する世界での長い戦いのあとで身体に浴びた光の強烈さを、俺は今でもすぐに思いだすことができる。
そして、その場に瞬の姿がないことに気付いた時の驚愕と狼狽と絶望も。

地上と冥界を繋いでいたハーデス城。
俺たちが元の世界に戻った時、その城は瓦礫の山と化し、そこに価値のあるものは光しかなかった。
そこに瞬の姿はなかったんだ。

俺は気が狂ったように瞬を呼び、瞬の名を叫び、俺にとっては光よりも価値のある人の姿を捜し続けた。
だが、光が消え、夜になり、また朝がきても、俺の求めに答えてくれる声はなく、そうして俺は知ったんだ。
何よりも――光よりも、俺の命よりも、希望や勝利や平和よりも大切に思っていた人を、俺が永遠に失ってしまったことを。

瞬は一時いっときとはいえ冥界の王に その身を支配され地上に害を及ぼした己れの罪を悔やんで、わざと元の世界に戻らなかったのではないかと言う奴もいたが、俺はそうは思わない。
瞬はいつも生きることを望んでいた。仲間たちにも、自分自身にも。
生きているから贖罪だってできる。
瞬は、死ですべてを清算するようなことを考える卑怯者じゃなかった。

だから、瞬は生きようとして――仲間たちと元の世界に戻ろうとして、戻れなかったのだと思う。
真の死の世界に運ばれたのか、あるいは次元の狭間に投げ出されたかして。
ともかく、それは、俺たちの世界で言うところの“死”というものだった。

瞬を失った俺が死を考えなかったわけじゃない。
むしろ、何度も考えた。
だが、瞬との約束があったから、俺は死ぬことができなかった。
死ねば必ず瞬に会えるという確信があったなら、俺はさっさと瞬との約束を反故にし、自分の命を絶っていたかもしれない。
だが俺は、冥界での戦いを経験したせいで、死後の世界の存在を信じることができなくなっていた。
ハーデスの作った玩具の箱庭のようだった、あの冥界を見てしまったせいで。

結局俺は自らの命を絶つことなく、生きたまま、瞬がいつも望んでいた地上の平和と安寧を実現するために、今でも微力ながら闘い続けている。
瞬が生きている時には、瞬がそれを望むから、瞬と共に在るために、俺はアテナの聖闘士としての闘いを続けていた。
皮肉なことに、瞬が死ぬことによって、俺は本当の意味でのアテナの聖闘士になってしまったんだ。
生きる目的も闘う目的も、瞬が望んでいた地上の平和と安寧。
それ以外には何もない男に、俺はなった。

もう2年と言うべきか、まだ2年と言うべきなのか、俺にはわからない。
瞬がいないことに、そろそろ慣れてしまってもいいと思うのに、俺は未だに瞬の不在に慣れることができずにいる。
今でもふとしたことで周囲を見回して瞬の姿を捜し、瞬の声を、瞬の手を求めてしまうんだ。

恋心を知らなかった幼い頃を除けば、俺と瞬が一緒にいた時間は1年にも満たない短い間だった。
アテナの聖闘士として再会してから冥界での戦いの終結までの時間は、主観的には恐ろしく長い時間だったが、実際にはそれは ほんの数ヶ月間のことでしかなかった。
共に闘っていた時間は短く、俺と瞬が恋人同士として共に過ごした時間は更に短い。

その時間に比べれば はるかに長い時間を、俺は瞬なしで生きてきたことになる。
瞬と共に過ごしたあの短い日々は何よりも輝いていた時間で、それは俺にとっては、人の一生分の時間よりも長く価値ある日々だった。
打ち続く闘いの中で、俺は多くのものを失った。
それでもあの日々を幸福だったと思えるのは、それが瞬と共に在ることのできた時間だったからだ。

闘いに打ちのめされ、傷付き、疲れ果て、それでも恋をして――ものぐさな俺にしては、随分精力的に活動していたものだと思う。
普通なら闘うことだけで手一杯で、真剣に恋などしていられる状態ではなかったろう。
だが、いつ死んでしまうかわからないからこそ、そんな中で生きていくために、俺には瞬との恋と瞬その人が必要だったんだ。

瞬は稀有な人間だった。
そこにいるだけで、周囲の空気が変わった。
瞬が作り出すそれは、新しい命が生まれる季節、木々が芽吹き 花が咲く暖かい春の空気だった。
瞬は、北の国の人間が恋焦がれる春そのもの、俺にとっての春は瞬その人だった。
だから、瞬を失ってからの俺は、実際に春という季節の中に身を置いても、それを春と認めることができなくなってしまった。
瞬を失った時、同時に俺は春という季節を永遠に失ってしまったんだ。

生きていられるものなんだな。
それでも、人は。こんな俺でも。
俺はもう二度と、春という季節に抱きしめてもらうことはできないというのに。






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