「セイヤが無茶をしないで大人しくしていれば、ヒョウガも安心して、たまには目を離してくれるようになるんじゃないかな? ヒョウガが目を皿のようにしてセイヤを見張ってるのは、セイヤがやたらと王宮を抜け出そうとするせいもあるんじゃないかと思うんだ」 「こんなきんきらきんの王子様風コスプレしてるだけでも褒めてほしいとこなのに、この俺に、朝から晩までずっと、この拘束具みたいなご立派な椅子に大人しく座ってろとでも言うのかよ!」 と、怒鳴るセイヤが座っている肘掛け椅子は、背もたれに青く染められた絹が貼られ、金糸銀糸で剣と百合の刺繍が施された、無闇に豪勢な椅子だった。 その横にある白いスツールに腰をおろしていたシュンが、そんなセイヤに両の肩をすくめて見せる。 「それはセイヤには無理なことでしょう? だったら、ヒョウガに護衛につかれることは我慢すべきだよ。ヒョウガはセイヤの身を案じてくれてるんだから」 「ちぇー」 観念したように大仰な嘆息を洩らしたセイヤを見て、シュンは軽く首をかしげることになったのである。 「ヒョウガに護衛されてるの、そんなに嫌かな。僕は、セイヤが羨ましいけど。いつも自分を見守ってくれてる人がいるのって嬉しくない?」 「相手によりけりだな。それに、ヒョウガのあれは、『見守ってる』じゃなくて『見張ってる』だろ」 「それは、セイヤが隙を見付けては王宮を抜け出そうとしたりして、大人しくしてないから」 「この俺に、人形みたいにこの椅子に大人しく座ってろっていうのかよ!」 「……」 会話が堂々巡りになっていることに気付き、シュンは苦笑した。 セイヤに意思のない人形のように大人しくしていろと求めるのは無理なことであり、セイヤがそんなふうでいる限り、ヒョウガもまたセイヤの見張りをやめるわけにはいかないだろう。 少なくとも、セイヤが、この宮廷内で大公位の後継者として磐石の地位を確保するまでは、現状を変えることはできない。 セイヤの気持ちを他に移すため、シュンは話題を変えることにした。 「まあ、僕もちょっと悔しいんだけどね。セイヤには僕がついているのに。僕だって、それなりに腕は立つつもりなのに、信用されていないってことだもの」 「ヒョウガはさ、自分が世界でいちばん強くて有能だと思ってんだよ。他の奴等は、どんなに強くても役立たず」 「それはまあ……ヒョウガに比べたら……」 「おまえたちのは無手勝流だろうが。ヒョウガはあれでも、オーストリアとプロイセンの軍政・軍法をじかに学んできているんだぞ」 シュンが口ごもったところに、彼等のもう一人の昔馴染みが登場する。 手に持っているのはバーデン大公家典範、要するに、大公国の公式行事における礼儀作法を記した仰々しい本だった。 隣室にヒョウガのいることを察して、 「相変わらず、忠勤に励んでいるようだな」 と、呟く。 セイヤは、彼の呟きを聞き、彼が手にしている 人も殺せそうな分厚い本を認めて、おもむろに顔を歪めた。 この長髪の男もまた、シュン同様、皇太子の王宮帰還によって宮廷にあがった人間の一人だった。 現在は王宮図書館の司書という役職に就いている。 華々しい出世は望めない役職だが、ついこの間まで王宮にあがることさえ許されていなかった小貴族の子弟には、それでも異例の大出世で、彼はただで稀覯本を読みたいだけ読みあさることのできる現在のポストに大いに満足しているようだった。 もともと文官の家系で、彼――シリュウ――の父は、シュンの家にいた頃のセイヤの教育全般を任されていた人物だったのである。 ヒョウガの父は、口が固く、忠誠心に篤く、正義を重んじる清廉潔白な貴族を慎重に選び、不遇の皇太子の世話を任じていた。 そういう身上の者たちは権力におもねることができないため、当然の帰結として、貴族社会では冷遇され、経済的にも恵まれてはいない。 セイヤの周囲は、正直で正義を尊び、しかし、あまり有力でない貴族たちによって固められていた。 処世の術には長けていないが信用だけはできる臣下のネットワークを作って、ヒョウガの父はバーデン大公国正統の皇太子を守ってきたのである。 14年前までは付き合いのなかったヒョウガの侯爵家、シュンの子爵家、シリュウの准男爵家は、皇太子であるセイヤを 当然それぞれの家の息子たちも親密になり、セイヤの気さくさのせいもあって、彼等の間には身分の上下を意識しない友人関係ができあがっている。 そのシリュウに、セイヤは、一国の皇太子とも思えない口のきき方で愚痴を洩らした。 「ヒョウガのクソ真面目な仕事振りには、さすがの俺も辟易しまくってるとこだぜ。ヒョウガって昔っからああだったっけ? もっと気まぐれで気分屋だったような気がするんだけどな」 「話しかけても、ろくに返事もしないような奴だったから、俺はあまり知らないんだ。シュンなら幾度か話をしているのか?」 シリュウに問われたシュンは、軽く横に首を振った。 「元帥がいらっしゃれない時には、夫人が時々 セイヤのための洋服や本を届けにいらしてくださってたんだけど、その時にはいつもヒョウガも一緒だったよ。公爵夫人――お母様にぴったりくっついてて、陰から じっとこっちを見ているような子供だったから、僕もあんまり話をしたことはないんだけど」 「その頃から物陰から他人の動向を窺うのが趣味だったんだな」 口をとがらせて合点するという奇妙な芸当をしてのける皇太子に、シュンは忍び笑いを洩らした。 「綺麗なお母様で、僕、すごく羨ましかったな」 シュンは早くに母を亡くして、セイヤがシュンの家に引き取られてきた時には、父と歳の離れた兄とシュンの三人で質素な館で暮らしていた。 シュンの兄は、バーデン大公国の宮廷を嫌って、今はプロイセン軍に籍を置いている。 セイヤがバーデン大公国の大公になれば、その兄も祖国に帰ってきてくれるのではないかと、シュンは心密かに期待していた。 それはともかく、当時、母のいない家で無口な父と兄と暮らしていたシュンには、邸の内が華やぐように美しい侯爵夫人の訪問は、非常に楽しみな出来事だったのである。 「ヒョウガは、二度目の訪問からは必ずヴェロニカの花束を持ってきてくれたよ。セイヤが興味なさそうにしてるから僕が受け取ってたけど、ヴェロニカには『忠誠心』って花言葉があるんだって後で知って、僕が受け取っちゃまずかったんだって、僕、すごく慌てたんだから。それで、ヒョウガに謝ろうと思ってたら、ヒョウガのお母様がご病気で亡くなられて、ヒョウガはウィーンの宮廷に留学に行っちゃって、うちにも来なくなって――」 「ああ……そうだったな」 セイヤたちを親密な仲間にした、もう一つの要因。 それは、彼等の誰もが母を亡くしているという同じ境遇にあること、だった。 セイヤとて、決してヒョウガを嫌っているわけではない。 彼は、本当に、四六時中自分に注がれているヒョウガの睨むような目付きが息苦しいだけだったのだ。 |