セイヤが王宮にあがってから数ヶ月、彼が16歳の誕生日を迎えてまもなく、バーデン大公国では、皇太子が正式な大公位後継者として国と国民に対する忠誠を宣誓書に署名をする儀式が執り行なわれることになった。 主催がバーデン大公国議会である この宣誓式を済ませると、現大公が亡くなった時点で、セイヤは議会の承認を得なくても即座に大公の地位を継承することができるようになる。 この頃には、セイヤも、現大公妃の息子よりは自分の方が よほど国のためになる大公になれると考えるようになっていたので、彼は宣誓書にサインすること自体には躊躇を覚えることはなかった。 彼が渋い顔をしたのは、宣誓式が執り行なわれる宮廷の大広間で、式の練習をしようと言い出したシリュウの提案そのものに対してだった。 「練習〜 !? 」 幼年学校のお遊戯の発表会でもあるまいに、紙に名を書くだけのことにどんな練習が必要なのだと、セイヤは自分が馬鹿にされているような気分になってしまったのである。 しかし、シリュウは、至って真面目にその提案を提出してきたらしかった。 「宣誓式には、国中の主だった貴族や重臣、各国の大使等が列席することになる。列席者たちは、次期バーデン大公国大公のおまえを品定めに来るんだ。ドジをしても笑って許されるようなイベントじゃない。立ち居振る舞いに落ち着きや品位が認められなければ、見物人たちは未来のバーデン大公国大公は軽率で牛耳りやすい人間と判断し、おまえは国内外で、我が国は国外で、侮られることになる。これは幼年学校のお遊戯の発表会とはわけが違うんだ」 実際に口には出していなかった例えをシリュウに先に持ち出され、セイヤはしぶしぶ彼の提案を そして、セイヤは、すぐに、シリュウの提案に感謝することになったのである。 宣誓式は、広間のどのドアから入り、どこを通って宣誓台に至るか、歩く方向を変える時の衣装のさばき方、会釈をしていい相手・その時間・会釈の深さ、署名前・署名時・署名後のそれぞれの所作等、細かい作法が決まっている実にややこしい儀式だったのだ。 直前に説明を受けただけで式に臨んでいたら、混乱した次期大公は、宣誓書ではなく列席者名簿にサインをしてしまっていたかもしれなかった。 「式の間は、おまえの近くには信用できる者だけを置くからな。宣誓書へのサインが済むと、おまえ以外の者が大公位に就くためには議会の承認が必要になる。つまり、大公妃たちがおまえの暗殺に成功しても、あの我儘皇子の即位は勝手に行なうことができなくなるんだ。馬鹿皇子の思いあがりと暗殺の件は知れ渡っているからな。議会は承認しないだろう」 「それで大公位を継ぐ者がいなくなったら、この国はどうなるんだ?」 「最も考えられるのは、プロイセン王国への併合――だな。愚かな君主を戴くよりは賢明な選択だ」 要するに、大公妃たちにとっては、この宣誓式が最後の暗殺のチャンスとなる――ということである。 油断することなく敵に隙を見せずに宣誓書に署名をするためにも、確かにこれは練習が必要なことだった。 「僕がここにいて、セイヤにペンを渡すからね。セイヤは、それで誓約書にサインをして。綴りを間違えちゃ駄目だよ。そんなことしたら、誓約自体が無効になる」 「俺は自分の名前も書けないガキか!」 「過去には、緊張して自分の名前を忘れて立ち往生しちゃった皇太子様もいるの」 俺はそんなにデリケートじゃない! というセイヤの怒声は、しかし、シリュウの言葉に遮られてしまった。 「まさか未来の大公がそんな下品なことをすることはないと思うが、ペンを舐めたり齧ったりはするなよ。インクやペン軸の先に毒が仕込まれていないとも限らん」 「あのなー」 「それも実際にあったことだ。大公位を得ることがどれだけ重要なことか、自覚しろ」 なかなか ぞっとしない話ではある。 セイヤは嫌な気分を払いのけるために、晴れ晴れしい場にふさわしい愉快な話題を持ち出した――彼なりに。 「俺が思うに、次に大公妃が打ってくる手は、もっと派手に、あのシャンデリアを俺の頭めがけて落とすことだと思うな」 「外国からの招待客が大勢いる場所で、そんな大仰で馬鹿げたことする人はいないでしょ」 そう言って笑いながらシュンが見あげた広間の天井にあるクリスタルガラス製のシャンデリアは、確かに宣誓台の真上にあり、総重量も軽く1トンは超えていそうだった。 シュンの不安そうな顔を見て、ヒョウガが即座に反応する。 「今日中に鳶の者を呼んで点検させておく」 シュンがその言葉に気を安んじた眼差しをヒョウガに向けると、彼はすぐに横を向き、シュンは短い落胆の息を洩らすことになったのだった。 |