「十二宮戦での天秤宮で、瞬は俺の命を救うために 簡単に自分の命を投げ出した。冥界でハーデスに身体を支配された時も、自分の死にためらう素振りを見せなかった。瞬は、今でもそのことを後悔してはいないだろう」 「瞬らしいじゃん。それが?」 それがどう『クール』と結びつくのか――が、星矢にはわからなかった。 それは、仲間を思い人類を思う瞬の優しい気持ちと、聖闘士としての責任感から出たことで、決して冷酷な振舞いではない。 そう、星矢は思っていたのだ。 だが、氷河には氷河の視点と理屈があったのである。 「俺は、あの時――天秤宮で、自分から自分の命を諦めようとしたことを後悔している。あの時まで 俺は、俺の生を願う者がいることを知らなかった。あの時 俺は、俺が生きていることを願ってくれている者がいることを知った。俺の死を悲しむ者がいることを知った。だが、瞬は――」 紫龍が、やっと氷河の言いたいことを理解し、無言で頷く。 氷河が言う瞬の『クール』とは、瞬が優しくないということではなく、言ってみれば、瞬が『計算高い』ということなのだ。 自分の命と氷河の命。 自分の命と人類の命。 瞬は、両者を秤にかけ、自分が重いと思ったもののために命を賭けることを、冷静に、取り乱さず、未練も見せずに、実行してしまう。 氷河は、それがつらいのだろう。 「瞬は、残された者の気持ちなど考えず、たやすく、仲間だの地上の平和だののために、自分の命を諦めてしまうんだ。クールにな」 「氷河……」 氷河の言う『冷たい』の意味を、瞬は初めて理解した。 そして、その言葉を否定しようとし、否定できずに俯いてしまう。 「俺は、今はもう死ねない。今の俺は、瞬と一緒に生きて幸せになりたいという気持ちが強すぎる。俺には、今がすべてだ。今の命がすべてだ。俺は生まれ変わりなんて信じていないし、たとえ俺と瞬が生まれ変わったとしても、二人が同じ時間・同じ場所に生まれ変わって出会えるとは限らない。巡り会うことができたとしても、それは今の俺たちとは違う二人だ。俺たちが俺たちとして愛し合えるのは今だけだ。だから、俺は今の命にしがみつく。だが――」 瞬はそうではない――のだ。 少なくとも、氷河はそう感じていた。 「氷河……」 瞬が苦しげに眉根を寄せる。 長い沈黙のあとで、瞬はぽつりと呟いた。 「そうだね。確かに僕は冷たい人間なのかもしれない……。氷河は、僕よりずっと人間的で温かだ」 “温か”どころか、氷河はむしろ“熱い”。 彼は、他者を――彼にとって特別な人を――そういう愛し方でしか愛さない。 そんな氷河から見たら、自分は確かに冷たい人間なのだろう――と、瞬は思った。 そんな瞬に、氷河が軽く首を横に振る。 「俺は、おまえを人間的でないとも優しくないとも思っていない。おまえは人一倍優しい人間だ。その上で、おまえはクールだと思う。俺は――俺はおまえを責めているんじゃないんだ。それがおまえだということは わかっている。俺は、おまえのそういうところに惚れたんだし、おまえに考えを改めてほしいと言っているわけでもない」 氷河はただ、瞬の生き様が切ないだけ――なのだ。 その潔さを冷酷と感じるほどに、氷河は、ただ哀しいだけだった。 そんな瞬を好きになり、そんな瞬でなければ好きにならなかっただろう自分を矛盾した存在だとも思う。 瞬は、俯かせた顔をあげる勇気を持つことができなかった。 その視界に、楽園の花々が映る。 花々は楽園を渡る微風を受けて、ふわふわとその花びらを揺らしていた。 これらの花たちはおそらく、生まれたいと願って ここに生まれたわけではなく、また、生きていたいと思いながら ここに咲いているものたちでもないだろう。 自分の命に執着はなく、ただ自然に咲いているだけの楽園の花たち。 仲間のため、地上に生きる人々のために簡単に自分の命を諦めてしまう“クールな”瞬は、だが、それらの花たちと同じ気持ちで生きているわけではなかった。 「でも、僕は……死にたいって思ったことはないよ。いつだって生きていたいと思ってた。それだけは信じて。僕はただ、氷河に生きていてほしくて、みんなに生きていてほしくて、それが僕の幸せで、僕は幸せになりたいから――」 「俺はおまえを責めているわけじゃない。俺はただ、そんなおまえが――」 そんなおまえが『つらい』『哀しい』『切ない』『苦しい』――どの言葉を続ければ 最も正確に自分の気持ちを瞬に伝えることができるのだろうと、氷河は一瞬悩んだ。 そうして結局、彼はその言葉を選んだ。 「俺は、そんなおまえが好きなんだ」 氷河の言葉の選択は瞬には意想外のもので、だから、氷河にその言葉を告げられた瞬は、氷河に『つらい』と言われるより つらく、『哀しい』と言われるより哀しく、『切ない』と言われるより切なく、『苦しい』と言われるより苦しい気持ちになった。 『好き』という言葉には、それらすべての感情が含まれていることに気付き、瞬もまた氷河と同じだけ、つらく、哀しく、切なく、苦しい気持ちを、氷河に対して抱く。 そして、瞬は、氷河のために――自分の好きな人のために――言った。 「うん……。あの、僕、これからできるだけ、勝つためじゃなく、負けないためじゃなく、生き残るために戦うね」 「そうしてくれると、ありがたい」 氷河が微かに微笑し、頷く。 その微笑に誘われるように瞬は――瞬もまた――微かな笑みを目許に浮かべた。 確かに自分は、氷河の言う通り、冷たい人間なのかもしれない。 自分の内に、人の命と自分の命を秤にかける計算高さがあることも否めない。 だが、氷河が「俺のために生きていてくれ」と望んでくれているのだ。 瞬は、自分の計算高さを、彼を悲しませることのない生き方と戦い方を選ぶために用いなければならないのだと思い、そう決意した。 「そういう意味でクールかー……。じゃあ、決勝戦では、氷河よりクールな瞬の方が勝つことになるのか? 最低人気でオッズ165倍だった瞬が?」 氷河の言う『クール』の意味をやっと理解した星矢が、瞬の計算高さを見習い、自分の懐には既に何の影響もない計算をして、ぼやく。 「にらめっこの強さと、その人がクールかどうかってことは、連動してないでしょ」 星矢の計算の前提条件の誤りを、瞬はクールに微笑みながら指摘した。 |