シュンが生まれる前の年、マヤの生きている国土にひどい日照りが続いたことがあった。
雨季に入っても雨が降らず、聖なる泉の水は日ごとに その水位を下げていく。
ティカルの王もカラクムルの王も他の国の王たちも、器にいっぱいの王の血を泉に捧げたが、神々は王たちの願いに応えることはしなかった。
マヤの神々が命の生け贄を求めていることは明白だった。

そして、その生け贄に選ばれたのが、当時6歳になっていたヒョウガだったのである。
神に望まれた、身体に傷ひとつない美しい貴族の子供――それが名誉なこととわかってはいても、ヒョウガの母は我が子の命が失われてしまうことに耐えられなかった――らしい。

その日、彼女はヒョウガを館の庭に呼び、手にした短刀を我が子に見せて、涙ながらに彼女の息子に訴えた。
「我慢してくれるわね。私はヒョウガに生きていてほしいの」
母の決意を察したヒョウガは母に頷き、彼女は、ヒョウガの左の額から頬にかけた場所に、わざと錆びて歯の欠けた刀を用いて切りつけたのである。
ためらうことも 手加減もできなかった。
現世での命惜しさに、生け贄に選ばれた子供をわざと傷付けたことが人に知れれば、その罪の責任は罪を犯した者ひとりだけではなく一門の者全員に――当然、ヒョウガにも――及ぶ。
その時、ヒョウガの母は息子への愛に正気を失いかけていたのかもしれなかった。

ヒョウガは、その一刀で命と光を失いかけた。
出血が止まり意識を取り戻すと、母の心を知っているヒョウガは、刀で遊んでいて転んだのだと 自分の口で医師に告げ、館に訪ねてきた神官たちにもそう証言した。

幸い、顔に目立つ大きな傷は残ったが、ヒョウガは光を失うことはなかった。
また、ヒョウガの母親が我が子を失わないためにわざとヒョウガを傷付けた事実も、人に知られることはなかった。
だが、ヒョウガが生け贄として使えなく・・・・なると、当然代わりの生け贄が選ばれることになる。
嘆き悲しむその子供の母親の姿を見て、ヒョウガの母は罪悪感に苛まれ、その罪の意識はやがて彼女の身体をも苛み始めた。

「私は神に逆らった。神にあなたを奪われてしまいたくなくて あなたを傷付け、他の子供の命を奪い、その子の母親を悲しませた。でもね、私は、あなたの命をこの世に引きとどめたことだけは、一度たりとも後悔したことはないのよ」
病を得て、床から起き上がることのできなくなった彼女は、ヒョウガにそう言い残して死んでいった。
――シュンがこの世に生を受ける前のことである。

ヒョウガがその秘密を話したのはシュンだけで、ヒョウガの父ですら亡き妻が犯した罪を知らない。
シュンはその話を聞いてから、出会うたび、別れる時、必ずヒョウガの左目の傷に口付けるようになった。
もちろん二人きりで寝台にいる時にも幾度も。
「なぜ」
ヒョウガが尋ねると、シュンは、
「ヒョウガがお母様の愛を忘れないように」
と答えた。
「でも、この傷を僕に消すことができたらいいのにとも思う。矛盾してるね」
そう呟くシュンが、ヒョウガは好きでならなかったのである。

神への生け贄は、その子供の命が失われることを悲しむ人間が多ければ多いほど価値があるとされていた。
我が子を失う母親や家族の悲しみが深ければ深いだけ、その生け贄を受け取る神の喜びも大きいのだと。
シュンは誰にも言うことはなかったが、そんな神の残酷さを憎んでいた。

そんな経験を持つヒョウガだったので、シュンが16の成人の儀式を迎えた時には心から安堵した。
もちろん、それ以前――まだ早すぎると思える時期に、彼はシュンと身体を交えていた。
いざとなったら、『シュンは肉の交わりを知っている』と訴えることで、神に捧げられる生け贄の光栄からシュンを遠ざけることができる――と、ヒョウガは考えたのである。

ヒョウガの心を知ってるシュンは、その細い身体でヒョウガの無体に耐えてくれた。
今ではすっかり その行為を楽しむことができるようになっているが、初めてヒョウガを受け入れた夜のシュンの様子はあまりに痛々しく健気で、ヒョウガは尋常でない罪悪感に支配された。
その夜以来、ヒョウガは自分の欲望を満たすことより、シュンに快美を感じさせることを優先させてシュンを抱きしめ続けてきた。
そのせいもあるのだろうが、シュンが官能の喜びに目覚めるのは早かった。

「今度会えるのは、カラクムルの王様の聖なる泉への月参りの警備の任務が明けてからなんでしょう?」
「3日も会えない」
忌々しげに、ヒョウガはシュンの言葉に頷いた。

シュンはティカルの天文台に隣接して建つ家に住んでいて、言ってみれば住居がそのまま仕事場のようなものだったのだが、主に王の警備が仕事であるヒョウガは、カラクムルの王が様々な行事を催したり外出することになるたびに、その務めを果たすべく呼び出しを受ける。
務めのない日には何を置いてもシュンの許にやってきていたので、彼はほとんどカラクムルの都にある自宅には帰っていなかった。
シュンの兄も似たような不在振りだったので、シュンは兄にもどこかに恋人がいるのではないかと察していた。

「そんなに長い間会えずにいたら、僕はヒョウガのことを忘れてしまうかもしれない」
星の運行を観察して100年後の雨季の始まりの日さえ ぴたりと当てることのできるシュンでも、日々の生活は1秒1秒の積み重ねである。
その1秒が会いたい人に会えない1秒であったなら、それは100年よりも長い。
無論、100年が1000年でも自分がヒョウガを忘れることなどあり得ないとシュンは確信していたのだが――要するに、シュンはヒョウガに“それ”をねだる方法を心得ていた。
それをねだれば、ヒョウガが喜ぶということも。

「大丈夫。おまえが俺を忘れないように、3日分愛してから、聖なる務めにつくことにする」
初めての夜の痛々しさは、今のシュンにはない。
それでもあの夜の記憶が、ヒョウガの脳裏から消えることはなかった。
だからこそ、シュンの望むことは何でも叶えてやりたい。
矛盾しているような気もしたが、かつてはシュンの身体を傷付けた行為をシュンが望むのなら、その望みももちろん、ヒョウガは叶えてやりたかった。

シュンの身体を押し開いて、一気に貫く。
シュンはその背を反りかえらせて、歓喜の声をあげた。






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