ヒョウガは、100年にも似た3日間が過ぎてもシュンの許に帰ることができなかった。 翌日 許される時間ぎりぎりまでシュンを愛撫し、忌々しい務めにつくべくヒョウガはカラクムルの都に急ぎ戻った。 無骨な武人の顔を作りカラクムルの王に随従して聖なる泉に向かったヒョウガは、そこで、全マヤ族の聖地の水が枯れ始めていることを、チチェン・イツァの神官たちから知らされたのである。 聖なる泉の急激な水位の低下は、幼かったヒョウガが神への生け贄にされかけた際の比ではなく、水位の低下と争うようにチチェン・イツァ周辺の畑の農作物もまた枯れ始めているということだった。 結局カラクムルの王は そのままチチェン・イツァに足止めを食い、彼は、やがて急を知らされてやってきた各都市の支配者たちと共に『王の血』を泉に捧げた。 それでも泉の水は減る一方。間を置かずに、マヤの各都市の泉・貯水池の水量が激減しているという報告がチチェン・イツァに集まってくる。 今年も、いつもの通りに5月から始まった雨季。 雨量は例年と変わらない。 にもかかわらず、水はどこかに消えていくのである。 マヤの大地は、そのほとんどが目の粗い石灰岩で覆われていた。 石灰岩は天から降った雨を速やかに吸い取り、地表から水を奪う。 マヤの人々は、生活用水や農作業用の水の供給を、各都市にある泉や貯水池に頼っていた。 それらの水が、一斉に、まるで天に吸い上げられているかのように、日を追うごとに消えていくのだ。 ヒョウガが彼の王に従って聖なる泉に詣でてから10日後。 チチェン・イツァの神官たちは、この現象は神が生け贄を求めるがゆえのものであるという判断を下し、幼い子供を持つ各都市の貴族の母親たちは皆、暗い不安を覚えることになったのである。 ヒョウガの主君が彼の治めるカラクムルの都に戻り、ヒョウガが彼の務めから解放されたのは、3日間だけの別れのつもりでシュンを愛撫した夜から、当初の予定の5倍の昼と夜が過ぎてからのことだった。 |