「シュンは今年16になった。既に成人している!」 シュンに会ったら そのまま寝台に倒れ込むつもりでシュンの家に飛び込んだヒョウガを出迎えたものは、再会の喜びに瞳を輝かせたシュンの笑顔ではなく、滅多に家に帰ってこない シュンの兄の怒声だった。 彼が対峙しているのは、白い長衣を身に着けた数人の神官。 シュンは、いきり立つ兄の背後に呆然とした シュンの兄の訴えは、さして広くないシュンの家の石の壁に空しく跳ね返され、彼の怒りに答える者はいなかった。 「何の騒ぎだ」 言葉を交わしたことはなかったが互いに顔だけは見知っているシュンの兄に、挨拶らしい挨拶もせずにヒョウガは尋ねた。 断りもなく彼の家に入り込んできた隣国の男に一瞥をくれると、シュンの兄はすぐにその視線を元の場所に戻した。 すなわち、王の命ですら、その言によって神の許に送ることもできる神官たちの上に。 「シュンは成人している。神がシュンを生け贄に望むことはあり得ない。それは何かの間違いだ」 「神は間違うことはない」 「神は間違わないかもしれないが、神託を受け解釈するのは人間だ。人間なら過ちを犯すこともあるかもしれないだろう。神の声を聞き違えることも――」 「……マヤの主だった都市の神殿の神官たちが全員、神の意思を取り違えているというのか? 我々も幾度も繰り返し確かめた。神の示す すべての兆しが、このティカルの天文台を指している。神への生け贄になり得る価値あるものといえば、ここには貴殿の弟御しかいないのだ」 「……!」 そこまで聞いて、ヒョウガはやっとシュンの兄の憤りの訳を理解したのである。 シュンはもはや神への生け贄にはなり得ないという先入観が、ヒョウガの理解を遅くした。 もちろん、理解することと納得することは別物である。 ヒョウガは慌てて、シュンの兄と神官たちの間に割って入った。 「何を馬鹿げたことを言っているんだ。シュンは成人しているだけでなく、既に肉の交わりを知っている。俺が汚した。男の精を幾度もその身に受け入れている。そんなシュンを神が生け贄に望むはずがない!」 シュンの兄が、ぴくりとこめかみを引きつらせる。 が、シュンの兄の不快など、ヒョウガの知ったことではなかった。 シュンが神の手に奪い取られようとしているのである。 シュンの近親の機嫌など、この際取り結んでなどいられない。 「国の危急時に その命を捧げるためにいる王族ならいざ知らず、成人した者が生け贄に選ばれるなど前代未聞、俺は一度も聞いたことがない!」 シュンの兄同様、ヒョウガの訴えは、口調だけは居丈高だったが、実際にはそれは哀願以外の何ものでもなかった。 顔に大きな傷を負ったために神への生け贄になり損ねた子供の話は ティカルの神官たちの知るところであったらしく、彼等は複雑極まりない目で、シュンを汚したと言い張る男の顔を見詰めることになったのである。 中の一人が心苦しそうに、シュンの身内の男たちに告げる。 「シュン殿の才はマヤにとって貴重なもの。それを失うことになるのだ、我々も幾度も確認した。神はあくまでシュン殿をお望みだった。シュン殿には、すみやかに神殿の方に移動していただきたい」 本来ならば、シュンを神殿に誘導――場合によっては連行――するのが、シュンの兄の務めである。 その務めの遂行をシュンの兄に命じない分、神官たちには情けがあった――と言えるのだろう。 微妙な立場に立つ兄のためにも、シュンは彼等の 「これは何かの間違いだ。隙を見て逃げてください。あなたの星を見る力、計算する力、それを失うのはマヤにとっての損失だ」 シュンの腕を取った神官の一人が、シュンの耳許で囁く。 「あ……」 彼の言葉は矛盾している――と、シュンは思ったのである。 価値あるものを神は望み、価値あるものを捧げられれば神は喜ぶ――というのが、マヤの民の一般的な認識だった。 神に望まれるほどの価値を自分が有しているのかどうかはさておいて、現世の人間にとって損失と感じられるほどのものだからこそ神はそれを望んだのであろうに、仮にも神官がこの事態を『何かの間違い』と語る。 マヤの神々が人間に及ぼす影響力は衰え始めているのだ――と、シュンは考えないわけにはいかなかった。 |