子供のあとを追って村の中心部に駆けつけたヒョウガとシュンは、そこで一軒の家が燃えているのを見ることになった。
もちろん燃えているのは、石造りの家の屋根にかれているヤシの葉のみだったが、その火が自然に発火したものでないことは一目瞭然で、ヒョウガとシュンは慌ててフードで顔を隠すことになったのである。

そこにいたのは、シュンたちを追ってやってきた捜索隊のようだった。
無論、ティカルやチチェン・イツァの軍ではない。
彼等は この村の属する国の王の兵たちらしく、操る言葉の抑揚が先程の子供と同じく北方特有のそれだった。
『逃げた生け贄の身柄を確保すべし』の指示が、ティカルやチチェン・イツァの兵より先に、この国にもたらされたらしい。
おそらくマヤの全都市に、その指示は行き渡っているに違いなかった。

この国の王が、とにかくよそ者を見付け次第その身柄を確保せよという命令でも下したのだろう。
捜索隊が建物の一つに火を放ったのは、あちこちに散らばっている村人たちをてっとりばやく一箇所に集めて村人たちを尋問するためのようだった。

ヒョウガとシュンがその場に駆けつけた時には既に、おそらく この村の住人はそのほとんどが村の広場に集まってきていた。
怯えた表情をした50人ほどの老若男女が、武器を持った20人ほどの兵たちを遠巻きに見詰めている。
否、彼等が見詰めているものは、捜索隊の隊長らしい大男が手にしているもの――先程までシュンに人懐こい目を向けていたあの子供の腕だった。

麻でできた簡単な作りの貫頭衣を身に着けた若い女性が悲鳴をあげている。
それが子供の母親らしく、彼は母の許に急ぐあまり、兵たちを率いる男に何か粗相をしでかしてしまったものらしかった。
「神に捧げられることを拒んで逃げ出した不埒者だ。庇い立てしても ろくなことにはならんぞ。ティカルとカラクムルの若い貴族の二人連れ、目立つはずだ」
やはり この兵たちはヒョウガとシュンを捜し出し捕らえるためにやってきた者たちであったらしい。
こんな辺境の村にまで、早くもチチェン・イツァから出た命令が届いている。
知識として知ってはいたのだが、マヤの各都市の連絡網の伝達の速さに、シュンは感嘆した。

「畜生、放せよ! 腕がちぎれるだろ! 若い貴族なんか、見たことねーよ!」
その子供がなぜ、彼の出会った見知らぬ旅人のことを話そうとしなかったのか、それはヒョウガにもシュンにもわからなかった。
ともかく、その子供の、素直とは言い難い物言いは、その大男の気に障ったらしい。
彼は子供の腕を掴んだ手を更に上にかかげ、彼に自由を奪われている者の顔を忌々しげに睨みつけた。

(ああ……!)
シュンの悲鳴は声にならなかった。
ならなかったのだが、シュンは確かに悲鳴をあげた。

捜索隊の隊長は、あまり品位がある男には見受けられない。
己れの目的を果たすために、人の住まいに火をつけるようなことを、ためらいなく してのける粗暴で短慮な男である。
彼の言うことに素直に従わない子供の腕をへし折るくらいのことは平気でしかねないと、シュンは思った。
しかし、ここで彼の任務に無関係な子供を傷付けても彼には何の益もないと彼に説くことは、逆に火に油を注ぐことにもなりかねない。
男に腕を掴みあげられた子供は、苦しそうに宙で もがいていて、いくら体重の軽い子供とはいえ、へたをすると肩の関節が外れてしまいかねなかった。

ふいに粗暴な男が振り子のように子供の身体を揺らし始める。
彼は勢いをつけて子供の身体を放り投げるつもりだと察したシュンは、もうそれ以上 黙ってこの無益な振舞いを見ていられなかった。
「乱暴はやめてくださいっ!」
「シュン……!」
ヒョウガが引き止める間もなく、シュンが粗暴な男の前に飛び出していく。

「くそっ!」
こうなると、ヒョウガも何食わぬ顔をして村人たちの中に紛れ込んでいることはできなかった。
隊長の注意がシュンに向く前に、ヒョウガがその粗野な男に向かって声を張り上げる。
「すぐ目の前にいる人間の正体にも気付かずに 子供をいたぶって粋がっているとは、マヤの兵も地に落ちたものだ。この俺が誰だか知っているか。おまえたちの捜している者をティカルの神殿からから連れ出した神への反逆者だぞ」

「なにっ」
男の洞察力の無さと短慮が、この場合はヒョウガに有利に働いた。
男は、彼が手にしていた子供のことを忘れ、彼の前に突然飛び出てきた者のことを忘れ、その視線と意識をヒョウガ一人に集中した。
その身体が地面に叩きつけられる前に、男が手放した子供の身体をシュンが素早く受け止める。

「残念ながら、おまえたちの捜しものは永遠に見付からないぞ。神に奪われるくらいならと、ティカルを出てすぐに、シュンは俺がこの手で殺してしまったからな」
彼の性急で乱暴な振舞いは、手柄欲しさのものであったらしい。
総身に知恵が回りかねているような その男にも、生け贄は生きていなければ使い物にならないことくらいはわかったらしく、彼はヒョウガの嘘を疑いもせずに、彼から手柄を立てる機会を奪った男を憎々しげに睨みつけた。

あの子供がシュンに促されて母親の方に走っていく。
子供が母親の腕に抱きとめられたことを確認すると、ヒョウガは腰に帯びていた剣に手を伸ばした。
こうなってしまっては、ヒョウガに採ることのできる道はただ一つ。
剣にものを言わせて血路を開き、シュンを伴ってこの場を逃れることだけだった。

相手は図体ばかりが大きくて、動きの鈍い男。
彼に従っているのは、そんな男の乱暴をいさめることもできない小心な兵たちである。
シュンと自分が逃げおおせることは不可能なことではない――むしろ、十中八九自分たちは この囲みを破ることができる――と、ヒョウガは思っていた。
――のだが。

「あなたたちが捜している人間はここにいます」
とうの昔に村人たちの中に紛れ込んだものと思っていたシュンが まだそこにいて、彼はその顔を隠していたフードを取り、自分が何者であるかを大男に知らせてしまったのである。
突然向こうから飛び込んできた手柄の本体に、大男は間の抜けた顔をさらすばかりだったが、それでヒョウガの焦りが消えることはなかった。

「シュンっ!」
ヒョウガが剣を抜き、シュンを背後に庇って、愚鈍な大男を睥睨する。
そんなヒョウガに、シュンは至って落ち着いた声で、
「ヒョウガ、逆らわないで」
と囁いてきた。
どう考えてもシュンは、捜索隊に囲まれたことに危機感を覚え、焦慮から自らが何者であるのかを口走ったのではない。
シュンは、何らかの考えがあって、彼の正体を公言したのだ。
それがわかっても、ヒョウガは全く気を安んじることができなかったが。

「しかし……」
「僕たちがここで命を奪われることはない。僕たちが見付かったことがティカルやチチェン・イツァに知れれば、おそらく兄さんがティカルの軍を率いて、僕たちの身柄を引き取りに来る」
「それでは俺たちは何のために――」
何のために、こんな辺境の村にまで逃亡してきたのか。
もしシュンの言うように、シュンの兄がこの国までやってきたとしても、神殿と神官の命に従って こんなところまでやってくる男が、肉親の情に負けてシュンを逃がしてくれるとは、ヒョウガには到底思えなかった。

しかし、シュンは、ヒョウガの懸念をよそに、未だに呆けた顔をさらしている大男の側に歩み寄ると、彼ににっこりと微笑み、そして告げた。
「あなたの王に、あなたがこんな乱暴な捕り物をしたと告げ口はしたくないの。僕はあなたの意気に感じて あなたに降ったと、あなたの王に進言しますから、あなたはこの村であなたが壊したものをすべて元通りにしてください。乱暴をした子にも謝って」

「シュン!」
粗暴を極めていた大男が シュンの微笑にぼうっとなっていることが、大いにヒョウガの気に障ったのだが、今はそんなことに臍を曲げている時ではない。
マヤの神々が支配する世界にシュンが戻るということは、シュンの命が失われるということ、ヒョウガが愛を向ける対象がこの世から消え去るということなのだ。
それは、ヒョウガから生きる目的を奪うことであり、それゆえヒョウガへの死の宣告でもあった。
責めるように、ヒョウガはシュンの名を呼んだ。
そんなヒョウガに、だが、シュンは首を横に振って、彼の抵抗の意思をいさめたのである。

「ポポカテペトルの山まで来た甲斐はあった。僕たちはティカルに――チチェン・イツァに戻らなくては」
口調は静かで穏やかだが、シュンの声音には 否やを言わせない断固とした響きがあった。
そして、ヒョウガは、シュンの願うことは、たとえそれがどれほど理不尽で無意味なことでも叶えてやらずにはいられない男だったのである。






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