その国の王は、あの粗暴な大男の主君とは思えないほど 知的で道理と礼節をわきまえた人物だった。 おおよその事情は聞いているらしく、彼はヒョウガとシュンを彼の王宮で丁重にもてなしてくれた。 二人がその国の王宮に入ってから2日後、神への生け贄とその生け贄をかどわかした男の身柄を引き取りに来たのは、シュンが察した通り、シュンの兄だった。 「なぜ逃げなかった。わざと捕まったと聞いたぞ」 シュンの兄が素っ気なく――おそらくは苦渋を隠すために、わざと素っ気なく――弟を問い質す。 「マヤの民を救う方法がわかったような気がしたから」 シュンの返答はシュンの兄を納得させるようなものではなかったろうが、彼はそれ以上 弟の選択した行動にあれこれ言うようなことはしなかった。 シュンの兄が、シュンの恋人同様、シュンの意思に逆らえない男だということを知り、ヒョウガは少々の不愉快と共に 大いなる失望を味わうことになったのである。 神への生け贄になるために故国に戻ろうとするシュンの意思を帰ることのできる人間は、この世に存在しないのか――と。 神に捧げられる者には、一国の王に対するもの以上の厚遇が与えられた。 もちろんそれは生け贄の逃亡を妨げるためでもあっただろうが、ティカルに送られるシュンの身は王が乗る輿に載せられ、輿を担ぐ者の倍の数の兵たちが常にその周囲を取り囲んでいる――という様相の行列に組み込まれて、シュンは彼が逃亡を図った国に連れ戻されることになったのである。 それはさながら高貴な囚われ人という風情だったが、実際、ティカルに向かうその行列の中で最も強い発言権を有しているのは、自由を奪われたはずのシュンその人だった。 生け贄をさらった男を形だけでも縄目につけようとした兄に、シュンは それだけではなく、ティカルに連行される途中で、シュンはその輿の中から、彼を守り従う者たちに意図の知れない様々な指示を出し続けた。 「兄さん、頼みがあるの。あの崖に横穴を掘ってみてくれない? 大きく掘らなくていいから、できるだけ奥まで」 最初に神への生け贄がティカルの軍を統率する男に彼の“頼み”を命じたのは、彼が捕らえられた国の南の国境にある石灰岩がむき出しになった崖の脇だった。 シュンに従う者たちが その命令を実行すると、ほどなくして石灰岩の壁からはマヤのすべての人民が求めるものが出現した。 「さほど掘らないうちに、水が染み出てきた」 「やっぱり」 兄の報告を受けて、シュンが満足したように頷く。 ティカルに着くまでに5度ほど、シュンは彼の従者たちに同じ作業を命じたが、結果はいつも同じだった。 明日にはティカルに入ろうという頃には、シュンの兄にも、シュンには何らかの成算があるのだということがわかり始めていた。 シュンの兄が率いる兵たちなどは、彼等が力仕事をするたびに誤ることなる出現する水脈を見て、シュンは神への生け贄に選ばれた者なのではなく、その依り代として選ばれた者なのではないかと囁き交わしている。 「シュン……」 「大丈夫。兄さんの弟はまだ死にません。ヒョウガにもそう伝えて」 シュンの乗る輿に近付くことを禁じられている男の名を出されると、それまで期待と希望の色だけをうかべていたシュンの兄の瞳は、途端に不機嫌なそれに変わった。 |