城戸邸はこの時期、この国で最も快適な居住空間を 邸の住人たちに提供してくれていた。 もちろん、地球温暖化対策計画書の提出を義務づけられている企業並みに、都の環境確保条例に沿った空調設定温度を遵守しているのだが、その分 湿度を調節することによって、この建物は むらのない快適空間を維持しているのである。 氷河は沈黙を守ることで、先程から、快適空間であるはずの城戸邸のラウンジを、温度設定『強』の冷蔵庫内に似た空間に変えてしまっていた。 紫龍は、当事者である氷河に(一応)遠慮して、これまた無言。 瞬は、ソファに腰をおろして、ひたすら身体を小さく丸くしている。 となればここは、大雑把と無神経で名を売っている天馬座の聖闘士が、持てる限りの無神経を総動員して会話の口火を切るしかなかった。 意を決し、それでも口ごもりつつ、星矢が瞬に尋ねる。 「あー……おまえ、“そういうの”嫌いなのか」 意を決した割りに、星矢の質問は、日本語の曖昧さを過ぎるほどに有効利用した、実に不明確なものだった。 「そういうのって?」 当然、瞬が尋ね返してくる。 「いや、だからさあ……」 星矢が、明瞭かつ的確な言葉を用いて その質問文を作ることができないのは、そこに瞬を熱愛している男が一人いるからだった。 しかし、その点を確かめなければ話が前に進まない。 『その点』。 すなわち、瞬があの超理論の持ち主であるところのヘンタイさんに向かって言い放った『近寄るなっ! 僕は、そういうのが だいっ嫌いなんだっ!』の真意を。 「んー……だから、つまり、同性愛者というか、ゲイというか、要するにホモ」 星矢の言葉の選択に、紫龍はおもむろに眉をひそめることになったのである。 そういう質問のされ方をして、『大好きです』とにこやかに答えることのできる人間が、はたして この世にいるものだろうか。 いたとしたら、それは、自分自身がその当事者になることは決してない やおい好きのオタク娘くらいのものである。 瞬の答えは、もちろん、『大好きです』ではなかった。 「別に人様の性的嗜好を否定する気も非難する気もないし、特に嫌いでもないし、貶めるつもりもないけど、僕はそういうの理解できない。ぞっとする」 『大好きです』と答えることをしなかった瞬は、『嫌い』と明言することもしなかった。 が、瞬の返答はどう解釈しても、瞬が“そういうの”を『単なる嫌い』ではなく『生理的嫌悪感を覚えるほどに嫌い』だと言ったも同然の答えだった。 「……」 相変わらず沈黙と無表情を維持し続けている氷河を ちらりと横目で見てから、星矢は、少しでもこの場を和ませようとして全く意味のない笑みをその顔に貼りつけた。 「いや、でもさ、好きになったのが、たまたま同性だった奴とか、どうしても同性しか好きになれない人間も、この世の中にはいるわけでさー」 「そういう人たちを差別はしないし、その存在を非難もしないけど、そういう人たちには、できれば僕とは関係のないところにいてほしいんだよ」 瞬が今 脳裏に思い浮かべている その中に、決して氷河は含まれていない。 だからこそ瞬は ここまで辛辣なことが言えるのだと、星矢は懸命に――言葉にはせずに懸命に――氷河に訴えた。 その声が氷河の胸に届いているかどうかについては、星矢には全く判断することができなかったが。 「でもさ、あのさ、おまえに滅茶苦茶惚れてて、おまえのためなら命も投げ出そうってくらいの男がいるとして――仮にいるとしたら、おまえは――」 おまえはその男にも同じように嫌悪感を示すのかと、星矢は瞬に言うことができなかった。 星矢がその質問を最後まで言い終える前に、瞬から答えが返ってきてしまったせいで。 瞬は、心底嫌そうな顔をして、 「なに、その気持ち悪い たとえ話」 と、言ったのだ。 その瞬間、星矢は強烈な寒気を感じた。 氷河が小宇宙を燃やしたわけではない。 その寒気は、星矢の身の内から生じたものだった。 瞬のその言葉は、氷河への死刑宣告も同じである。 星矢は、氷河の顔を見るのが怖かった。 |