「ったく、氷河の奴!」
氷河がこれほどのへそ曲がりに育った原因を紫龍と語り合った星矢が得ることのできた結論は、自分と紫龍がそんなことを語り合っても氷河のへそ曲がりが治るわけではない――という、実に空しいものだった。

とはいえ星矢は、決して自分の苦労が報われなかったことに腹を立てているのではなかった。
報われると思い込んで氷河のために必死に城戸邸の膨大なライブラリーの中から目的のDVDを探し回った自分自身の愚かさにこそ、星矢は憤っていたのである。
自室に向かう足取りの不機嫌さと乱暴さを増しながら、星矢は、今後一切 氷河のへそ曲がりに関わるものかと、固く決意していた。

が、氷河はともかく、問題は瞬である。
どういうわけか、紫龍は、あまり真剣に瞬を心配していないようだった。
そのせいで星矢は なおさら、紫龍の分も自分が瞬を案じてやらなければならないという気持ちが募っていたのだ。
そして、そういう気持ちが強まる一方で、星矢は、そんな自分を訝ってもいた。

紫龍は、さほど深刻に瞬のことを心配していない。
もしそれが仲間として妥当な態度であったなら、自分は瞬の“可愛らしさ”の罠にはまり必要以上に瞬を気にかけてしまっているのかもしれない――と、星矢は疑わないわけにはいかなかったのである。
しかし、万一そうだったとしても、それとても瞬のせいではない。
悪いのは、その状況に責任を負うべきは、可愛い姿をした犬やライオンや瞬ではなく、それらのものを勝手に守ってやりたいと感じてしまう人間たちの方なのだ。

そんなことを考えていた星矢は、自室のドアの前で しばし迷うことになったのである。
隣りは瞬の部屋。
おそらくそこには瞬がいるだろう。
うまい慰めの言葉も思いつかない瞬の仲間が、瞬を慰めようとすることには、多少なりとも意味があるだろうか?

明るい真夏の昼下がりに、同じ屋根の下に落ち込み項垂れている仲間がいるのだと思うと、星矢はどうしても楽しい気分にはなれなかった。
瞬に元気になってほしいと思う。
が、有効な慰めの言葉が思いつかないからといって、瞬の前で氷河の悪口を並び立てるわけにはいかない。
そんなことをしても、瞬はますます悲しい顔をするだけだということはわかっていた。
瞬の気持ちを明るいものにするためには、やはり瞬の心を沈ませている男の前言撤回が必要なのである。

やはり、瞬の仲間が瞬のためにできることは、氷河の認識を改めさせることしかないのか――と考えて、星矢が舌打ちをした時。
突然どこからか子猫の鳴き声が聞こえてきた。
なぜそんなものがこんなところにと怪訝に思いかけた星矢は、だが、すぐに自分の思い違いに気付いたのである。
星矢が 子猫の鳴き声と思ったもの。
それは瞬の泣き声だった。
瞬の部屋のドアの隙間から、すすり泣くように細い泣き声が廊下に洩れ出てきていたのだ。

(瞬……)
あんなへそ曲がりで思い遣りのない男とはいえ、瞬にとって氷河は、命を賭けた戦いを共に戦ってきた仲間である。
その仲間に『世界でいちばん嫌いだ』と言われて、瞬が傷付かないはずがない。
瞬はおそらく、健気にも、仲間に心配をかけまいとして仲間の前で泣くことを我慢し、涙をこらえていたに違いない。

我が身を守らせようとする可愛らしい生き物と、守ってやりたいと思わずにいられない人間のどちらに問題や責任があるのか――そんなことは、この際どうでもいいことだった。
心無い仲間の言葉に、もう一人の仲間が傷付き泣いているのだ。
しかも、仲間たちに涙を見せまいとして自室にこもり、一人きりで。
星矢には、瞬の部屋の前を素通りすることはできなかった。

「瞬……氷河の言うことなんて、ほんとに気にすることは――」
瞬の気持ちを気遣い、星矢はなるべく音を立てずに瞬の部屋のドアを開けた
それはどういうわけか最初からきちんと閉められていなかったので、ほとんど音を立てることなく、星矢は瞬の部屋に入ることができた。
そこで星矢は、だが期待していたものを見ることはなかったのである。

星矢はそこに、人目を避けて肩を震わせ忍び泣きをしている健気で可愛らしい仲間の姿があるものとばかり思っていたのに、そんなものは、瞬の部屋のどこにもなかったのだ。
もちろん瞬は、人目を避けていたのだろうし、肩だけでなく全身を震わせて泣いていた。
しかし、その瞬の姿は、星矢の目には到底 健気で可愛らしいものには見えなかったのである。

まずもって、“健気で可愛らしいもの”は、自分を組み敷いている男の肩に足を乗せ、身体をのけぞらせながら、
「あ……あっ……あ……あんっ」
などと可愛らしい・・・・・声で嬉しそうに喘いでいたりはしないだろう。
だが、瞬はそれをしていた。
瞬を世界でいちばん嫌いだと断言する男のために。
その上、瞬は、その身に糸くず1本まとっていなかった。
氷河の重みに押し潰されそうになっているようにも見えたが、その声は決して苦痛を訴えるものではなかったのである。






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