星矢が飛び込んだラウンジには、紫龍がいた。
「どうしたんだ。水槽から飛び出した金魚みたいな顔をして」
確かに その時星矢は、真っ赤な顔をして、声の出ない口をぱくぱくと繰り返し開閉していた。
紫龍の表現は非常に的確だったのだが、今の星矢は仲間の優れた修辞法を褒めるどころではなかったのである。
星矢は、ぱくぱくと動くばかりで役に立たない口にいらつきながら、懸命の努力で自分の声帯を叩き起こした。

「ひょ……氷河と瞬が!」
「氷河と瞬? どうした。あの二人がまた喧嘩でも始めたか」
紫龍に問い返された星矢が、答えに窮する。
あれも喧嘩の一種と言えば喧嘩の一種なのかもしれないが、ここで『そうだ』と答えることは、真実を伝えることにはならない。
とはいえ、あの喧嘩をどういう言葉で表現したものか――。
迷い悩んだ末に、星矢は、再び顔を真っ赤にして口をぱくつかせることを始めた。
紫龍が、勘良く星矢の言いたいことを察してくれる。

「ああ、昼間から励んでいたのか」
力一杯こくこくと頷いてから、星矢はきょとんと その目を見開くことになったのである。
どれほど“可愛い”顔をしていても、瞬は歴とした男子である。
その瞬と氷河が『昼間から励んでいること』は、そんなに容易に推察できることではないはずだった。
なぜ紫龍はその尋常ならざる事態をすぐに察することができたのか――と、星矢は仲間を疑うことになったのである。
が、紫龍は、逆に、そんな星矢の態度が意外だったらしい。

「なんだ、おまえ、知らなかったのか」
星矢が本日ただ今知ったばかりの二人の仲間の関係を、紫龍は以前から知っていたものらしかった。
彼は少しの間を置いてから、半ば呆けているような星矢に向かって、
「では、氷河の言う『瞬の顔が嫌い』の意味も取り違えていたな。氷河の戯れ言を妙に真面目に受け取っているとは思っていたが、そういうことか」
と得心したように呟いた。

「だだだだって、あいつら、そんなこと一言も!」
「あの二人に公式発表でもしてほしかったのか」
「それは――」
そんなことをされても、二人の仲間としてはコメントに困るだけである。
それが氷河の判断なのか、瞬の判断なのか、あるいた二人の一致した判断なのかは 星矢には知りようもなかったが、二人の関係を公式発表しなかった氷河と瞬の判断は妥当だと、星矢は思わざるを得なかった。

ともかく、星矢が気付いていなかっただけで、二人は以前からそういう仲だったのだ。
仲間が仲間に向かって『世界でいちばん嫌いだ』と言うことと、恋人が恋人に対して『世界でいちばん嫌いだ』と言うこと。
その両者の間には、確かに微妙なニュアンスの違いがあるだろう。
どう違うのかは うまく言葉にできなかったが、違っているのだろうことだけは、星矢にもわかった。






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