「まあ、落ち着け」
と言って紫龍が出してくれたウーロン茶を飲み干し、なんとか星矢の思考がまともに働き始めた頃、昨日から星矢を何度も絶句させている男が のそりとラウンジに姿を現した。
途端に、星矢の脳裏に つい先程見せられた なまなましい光景が蘇り、彼をいたたまれない気分にさせる。

星矢は慌てて金髪の仲間から視線を逸らすことになり、そんな星矢を一瞥してから、紫龍は素知らぬ顔で氷河に尋ねた。
「瞬は? 一緒だったと聞いたが」
その情報を、紫龍が誰から得たのかを、氷河は知っているようだった。
氷河の視線が自分に向けられたことを感じ取り、星矢はぴきんと全身を強張らせることになったのである。

「寝かしつけてきた。しばらく起きてこない」
もし二人の関係を事前に知っていたならば、星矢は、『どうやって寝かしつけてきたんだ』と軽い突っ込みくらいは入れていただろう。
しかし、今の星矢には、氷河をそんなふうにからかってのけるだけの余裕の持ち合わせがなかった。
そんな星矢を、氷河が鼻で笑う。
その気配を感じ取ると、星矢の負けん気が頭をもたげてきた。

星矢は覗き見を目的として瞬の部屋に行ったわけではなく、その本来の目的は、仲間の傷心を慰めることだった。
結果的に瞬の濡れ場を盗み見ることになってしまったが、そのことに自分が負い目を感じる必要はない。
むしろ見たくもないものを見せられてしまった自分は被害者ではないかと開き直り、星矢は氷河を睨みつけた。
そして、大きな声で彼を怒鳴りつける。
「おまえ、瞬が嫌いなんじゃなかったのかよ!」

なじるような仲間の怒声に、だが氷河は動じる様子も見せなかった。
「俺が嫌いなのは、瞬の顔だけだ。瞬の身体は好きだぞ。あれは素晴らしい」
臆面もなく、ほとんど表情らしい表情も見せずに、彼はそう言った。
それから、眉のあたりに 少しばかり腹立たしげな様子を刻んで、言葉の先を続ける。
「その上、あの素晴らしいものは隠すことが容易だ。服を着ればいいだけだからな。だが、顔はそうはいかない。瞬は俺だけのものなのに、瞬に対して何の権利も持っていない俺以外の人間が、俺に断りもなく瞬の顔を見ることができるというのは理不尽だし不愉快だ」

「理不尽――ね」
氷河の主張のどこに道理があるのかと言わんばかりの紫龍の呟きを、氷河はあっさりと無視した。
「貴様等は問題外としても、瞬を傷付け倒すことを目的としている敵にまで、瞬は親切にも自分の顔を見せてやっている。そこいらを歩き回っている阿呆な男共にまでだ。親切にもほどがあるだろう! 瞬と歩いてると、誰もが瞬に目をとめる。俺のものを勝手に見て、それだけならまだしも、奴等は瞬に対して邪まで分不相応なことを考える。これが理不尽でなくて何だというんだ。俺は世界中の人間に、俺の権利を侵害されているんだ。それもこれも、瞬があんな傍迷惑な顔をしているからだ!」

「おまえ、それってさー……」
それは理不尽ではなく、恐るべき我儘だ――と、星矢は思ったのである。
そして、氷河の子供のような我儘に呆れかえった。
とはいえ、星矢は、昨日よりは氷河の気持ちが理解できるようになってはいたが。
要するに、『瞬の顔が世界でいちばん嫌いだ』という氷河の発言は、“可愛い”顔の持ち主を恋人にしてしまった男の不安と嫉妬を端的に言葉に表しただけのものだったのだ。

カシオスの顔が氷河の理想というのも、事情がわかれば納得できる。
氷河が瞬に求めていることは、瞬が自分以外の人間が可愛いと感じない顔の持ち主になることなのだ。
そうなることで 自分は余計な心配をしなくてよくなるという理屈が、氷河の胸中にはあるらしい。
自分勝手な理屈ではあるが、それはある意味 論理的な考え方でもあった。

「おまえ、瞬の顔がカシオスでも、瞬に惚れたのか」
「俺は瞬の顔に惚れたわけではないぞ。無論、身体に惚れたわけでもない」
「じゃあ、何に惚れたんだよ?」
「星矢。おまえは その愚問を本気で俺に訊いているのか? 瞬が持っているものの中でいちばん“可愛い”ものが何なのかを知らないのなら、おまえには瞬の仲間でいる資格はない」
「へえ……」

氷河にしては実にマトモな恋をしているではないか――と、星矢は正直 彼に感心してしまったのである。
氷河の彼らしくなくマトモな言葉は、そして同時に、自分が非常に無駄で無意味で無益なこと――つまりは徒労――をしていた事実を、星矢に気付かせた。

「俺は、瞬がおまえに嫌いだって言われて、傷付いてるだろうと思ったから……。俺は、あんなとんでもないところを見るつもりはなかったし、おまえらがそういうことになってるなんて、全然知らなかったし――」
星矢の口調が弁解じみたものになったのは、自分のしでかした徒労へのきまりの悪さもあったが、それより何より、あんな場面を見てしまったことを瞬に知られたくなかったからだった。
できれば氷河には、その件に関しては沈黙を守ってほしかったのである。

星矢に悪意はなく、すべては仲間への懸念と友情に端を発した空回りだったということは、氷河も承知しているようだった。
彼は、無駄に活動的な仲間を小馬鹿にしたような目で見やり、それから、その右手で星矢の顎を捉え、言った。
「おまえがこんな可愛い顔をしていなかったら、俺はおまえを誰かに取られるんじゃないかと毎日詰まらない心配をせずに済むのに」

「へ?」
突然気持ちの悪いことを言われ、星矢は全身を粟立たせた。
幸い、それは、天馬座の聖闘士のための言葉でないことは、星矢にもすぐわかったが。
「――と言って、瞬には ちゃんとフォローを入れている。俺はそこまで馬鹿な男じゃないぞ」
そう言って氷河は、星矢の顎を捉えていた手の人差し指で、仲間の顎を勢いをつけて弾き飛ばした。

痛みに顔をしかめつつ、星矢もその事実を認めないわけにはいかなかったのである。
いちばん馬鹿だったのは無意味な空回りをしていた自分だったこと、そして、氷河の世界でいちばん嫌いな顔は、氷河が世界でいちばん好きな顔なのだということを。






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