アンドロメダ島は、昼夜の寒暖の差が激しい。 日が暮れて 日中より30度近くも気温が下がり、島は、日本の真冬のそれと大差ない寒さに包まれているというのに、夜空に輝いているのは夏の星座だった。 それが秋の星座に変わるのを、瞬がこの島で見ることは もうない。 この島にやってきた6年前の最初の夜にそうしたように、瞬は波の打ち寄せる砂浜に膝を抱えて座り込み、星と夜光虫の輝きの区別のつかない この島の夜の光景を見詰めていた。 そこに、波のざわめきとはトーンの異なる声が降ってくる。 「憂鬱そうだね。アンドロメダの聖衣を手に入れて、明日には やっと念願の日本に帰れるっていうのに」 「ジュネさん」 声のした方に瞬が視線を巡らせると、そこには、少々エキセントリックな格好をした少女が、長い金髪を風になぶらせて立っていた。 言葉使いはぶっきらぼうで到底女らしいとは言い難いのだが、その姿は、自分が女性であることを誇らしく思っているかのように女性的で、そして美しい。 このぶっきらぼうで優しい女性にも、瞬は明日には長い別れを告げることになる。 「生きて もう1度兄さんに会うんだって、おまえはいつも繰り返し言ってた。その願いが叶うんだよ。まあ、あたしと別れるのが寂しい気持ちはわかるけど、もっと嬉しそうな顔を おし」 彼女を姉とも慕い、そして、この島で聖闘士の育成に携わっている師を兄とも父とも慕い、瞬はこの島での修行に耐えてきた。 二人に対する瞬の そんな思いには、瞬がこの島で初めて二人に出会った時から どこか憧れめいたものが含まれていた。 自分がそう感じてしまうのはなぜなのかと、瞬は、島に来た当初には、そんな自分を疑っていたものである。 理由はすぐにわかったが。 二人は優しく厳しく、人間として尊敬できる人たちだった。 そして二人は、輝くばかりに美しい金色の髪を持っていたのだ。 「あ、いえ、僕、ちゃんと喜んでます。寂しいのも事実だけど」 瞬は、彼女のために慌てて目許に笑みを刻んだ。 それから、少し ばつの悪い顔になる。 「日本には、すごいいじめっ子がいるんです。きっと彼も日本に帰ってきてる。これまでは、何が何でも生き延びて聖衣を手に入れて兄さんと再会するんだ――って、それだけを願って修行に耐えてきたんですけど、でも、いざ日本に帰れることになったら、他の色々なことを思い出しちゃって……。彼とまた顔を合わせなきゃならなくなるのかと思うと――」 「憂鬱な気分になってきた?」 「……はい」 瞬はジュネの言葉に頷いたが、その返答は真実とは微妙に違っていた。 あのいじめっ子に会うのは恐い。 再会したあとのことを想像すると、それだけで憂鬱な気持ちになる。 とはいえ、あれから6年の年月が経ったのだ。 彼が6年前と同じ いじめっ子でいるとは限らない。 彼はもう 事あるごとに自分を泣かせていた いじめっ子ではなくなっているかもしれない。 だが、それもひどく寂しくてならない――のだ。 瞬の曇った表情の理由を知らされると、ジュネは愉快そうに破顔した。 彼女は、もっと別の深刻な理由が瞬の口から出てくることを心配していたのだ。 現在 アンドロメダ島と聖域は、対立とまでは言わないものの、良好な関係を維持しているとは言い難い状況にあったから。 「いじめっ子……って。おまえは聖闘士になったんだよ。おまえをいじめられるような奴は、もうこの世界のどこにもいないさ」 「だって、氷河もきっと聖闘士になって帰ってくる……」 「ヒョウガ?」 『ヒョウガ』というのは、この6年間 瞬の口から一度も出たことのない名だった。 ジュネが聞いたことのある瞬の仲間は、『兄さん』と『星矢』と『紫龍』と『お嬢さん』くらいのもの。 ジュネは、この6年間 瞬が1度も言及しようとしなかったいじめっ子に対して、俄然興味を抱くことになったのである。 「そいつはヒョウガっていう名なのかい? どんな奴?」 「氷河ですか? 氷河は――僕よりちょっと歳上で、ロシア人とのハーフで、とても綺麗な顔をしてて、すごく意地悪で……」 「今もそうだとは限らないだろ」 「だといいんですけど……」 形だけの笑みを作って、瞬が俯くように頷く。 瞬は、そのいじめっ子との再会を本気で心配しているらしい。 ジュネは苦笑し、そして、安堵した。 アンドロメダ島の名の由来ともなっているアンドロメダの聖衣。 共に修行に励んできた仲間を倒すことで それを手に入れた瞬が傲慢になってはいないか、あるいは逆に、聖衣の重みに押し潰されそうになってはいないか、間違った気負いを感じてはいないか――。 ジュネはそんなことを心配して、明日にはこの島を離れる者の許にやってきたというのに、当のアンドロメダの聖闘士は、のんきに いじめっ子の心配をしている。 自分が聖闘士であることに ここまで自然体でいられるのなら、自分の身に備わった力に瞬が支配されてしまうことはないだろう。 聖域とアンドロメダ島の関係に関しても、自身の冷静な判断を下すことができるに違いなかった。 「あとで、あたしも様子を見に日本に行くよ。そのいじめっ子が、おまえをいじめてたら、このあたしが痛い目に合わせてやる」 瞬の頭の上でぽんぽんと手を弾ませて、ジュネは可愛い後輩との別れを惜しんだのだった。 |