「無視されてます」
瞬が瞼を伏せ、ごく小さな声でジュネに告げる。
瞬にとっては、無視もいじめの一種だった。
氷河に抵抗できるだけの力を持った今となっては、無視こそが、瞬に反抗を許さない最も手ひどい いじめだったのだ。

「お互い聖闘士になっちまったから、今度は新手の戦法で攻めてきたってわけか。でも、まあ、あたしが来たからには安心おし。可愛い瞬のためだ。あたしが奴を痛い目に合わせてあげるよ」
「痛い目って……どうやってです?」
攻撃を仕掛けてこない相手に反撃することは、過剰防衛どころではなく、こちらからの攻撃になる。
それは、地上の平和と安寧を守ることを第一義とするアテナの聖闘士に許される戦い方ではない。
ジュネに聖闘士の道に外れたことをさせるわけにはいかないと、瞬は少々慌てることになった。

が、ジュネが考えている“痛い目”とは、そういう次元のことではなかったのである。
不安そうな目をした瞬の目の前に自慢の脚を突き出すと、ジュネは、
「あたしの魅力の虜にしてから、派手に振ってあげるの」
と、ひどく楽しそうな口調で言った。
瞬が、途端に頬を青ざめさせる。

「そんな、人の心を弄ぶようなことはしちゃいけません。そんなの、ジュネさんのすることとは思えません」
顔を強張らせた瞬の諫言を、だが、ジュネは軽い笑いで受け流した。
「あたしは今、ちょっと開放的な気分になってるんだよ。アンドロメダ島じゃ、あたしを女と認めてくれる奴はいないけど、日本はいいねー。街を歩いてると、みんながあたしの方を振り返る。すごく気分がいい」

肌の露出が多い奇抜なデザインの服を身に着け、自信に満ち颯爽とした様子で街を行く美少女。
それが好奇の目であれ、漁色の目であれ、彼女が人々の注目を集めないはずがない。
聖闘士であるジュネに『男はみんなオオカミだ』と忠告することの無意味を知っているだけに、瞬は、ジュネの振舞いを改めさせるのに適当な言葉を見付け出すことができなかった。
何よりジュネは、本当に興味のない相手には、冗談にでもそんなことを言ったりはしない。
ジュネは氷河に関心を抱いているのだ。
彼女がそれを望むなら、瞬には彼女を止める手立てがなかった。

「それはそれで気分がいいんだけどさ、でも、どうせなら、そこいらに転がってる詰まんない男よりは、ああいう綺麗なのに ちやほやされたいじゃない? もっとも、あの氷河ってのは、妙に気難しそうだし、落とすのは難しいかもしれないけど」
「氷河は……ジュネさんに迫られたら、ジュネさんを好きになりますよ。ジュネさんは金髪だし」
「金髪? なんだい、それ」
「あ、いえ、綺麗な長い髪をしてるし、美人だし、優しいし、誰だって好きになりますよ……って」
「ふふ。瞬は、嘘をつけないとこが可愛い」
ジュネが、瞬の言葉を聞いて嬉しそうな笑顔を作る。
瞬は、うまい嘘をつくことのできない不器用な自分が嫌いだった。

「深刻に考えなくても、瞬のオトモダチの氷河クンと瞬のオトモダチのあたしが仲良くなるだけのことだ。何の問題もないよ。どっちにしても あたしは早晩アンドロメダ島に戻らなきゃならない。深入りしてる時間はないし、ちょっとからかってやるだけ」
「ぜ……絶対本気になんかならないって約束してくれますか? 氷河はアテナの聖闘士で、これからアテナのためにたくさんの戦いを戦わなきゃならなくなる。だから、その――」

『だから余計な雑念を氷河に抱かせないでほしい』という良くできた建前を、瞬は最後まで言ってしまうことができなかった。
その主張には何かしら嘘が含まれている――そう、感じてしまったせいで。
黙り込んでしまった瞬の髪をくしゃくしゃと掻き乱し、ジュネは鷹揚に笑ってみせた。
「あたしは綺麗なのより、可愛いのが好みだから、その心配はないよ。氷河も本気にならないってことまでは確約できないけど」
「ジュネさん……」

いったいどういう誘い方をしたものか、ジュネはその日のうちに二人きりで出掛けることを氷河に提案し、氷河はそれを承知したらしい。
得意げな様子のジュネにその報告を受けた時、瞬は一瞬、くらりと軽い目眩いを覚えた。






【next】