氷河は行動力だけはある男だった。
客観性には乏しいが、直観力には優れている。
瞬を追いかけろとジュネに言われた時には、その必然性を即座に悟り、迅速に行動を起こしていた。
自室に逃げ込もうとしていた瞬をエンシランスホールの中央で掴まえ、先程の放言の訳を問い質す。
「いったい何を怒っているんだ。俺を大嫌いとはどういうことだ!」

それは、氷河にしてみれば“あってはならないこと”だった。
が、瞬は、それが氷河にとって“あってはならないこと”であることを知らなかったのである。
「僕を放っぽって、毎日ジュネさんと――ぼ……僕からジュネさんをとって!」
瞬が途中で非難のポイントを変えたのは、氷河にとっての“あってはならないこと”が、瞬にとっては“認めたくないこと”だったからに他ならない。
氷河に放っておかれることがつらいなどということを、瞬はかつてのいじめっ子に向かって、口が裂けても言うわけにはいかなかった。

氷河が、そんな瞬に不思議そうな声音で尋ねてくる。
「おまえはあの女が好きなのか」
「そ……そうだよっ」
「……」
氷河に疑わしげな目を向けられて、瞬はたじろいだ。
なぜ氷河がその言葉を疑うのかが、瞬にはわからなかったのである。

「な……なに、その目は」
「おまえが向きになってどもる時は、大抵嘘をついている時だからな」
氷河にあっさりと嘘を見抜かれ、瞬は更に向きになった。
「ほ……ほんとなんだからっ!」
また、向きになって、どもる。
瞬の言を全く信じていない顔をした氷河は、まるで癇の強い赤ん坊をあやすような口調で、瞬に告げた。

「それが嘘でなかったとしてもだ。あの女はやめておけ。悪い女じゃないが、気が強すぎる。おまえは振りまわされるだけだ。おまえにはもっと大人しくて控えめな――」
「僕が誰を好きになろうと、僕の勝手でしょっ」
「それはもちろん おまえの勝手だが、嘘をついてどうなるというんだ」
「ぼ……僕は、嘘なんかついてませんっ!」

瞬が、木霊するほどの大声をエントランスホールに響かせる。
たまたま外から戻ったばかりだった星矢と紫龍は、修羅場を演じている仲間の横を素知らぬ顔で通り抜けることもできず、玄関のドアの前で前にも後ろにも進めない仕儀に陥っていた。
その二人に気付いたジュネが、壁沿いに彼等の側に歩み寄っていく。

「おまえたち。星矢、紫龍」
魔鈴やシャイナで口の悪い女子に慣れている二人は、到底丁寧とは言い難く、それどころか居丈高ですらあるジュネの口調に不快の色を見せることはしなかった。
ジュネに名を呼ばれた彼等は、ただ彼等の名を呼んだ人物の方を振り返ることをした。
そんな二人に、ジュネが確認を入れる。
「あたしの見たとこ、氷河は瞬が好きで、瞬もそう。違ってるかい」
「いいえ。慧眼、ご賢察、恐れ入ります」
殊更 丁寧な口調と態度で紫龍がジュネに答え、ジュネはその返答に頷いた。
「どう見たってそうだよね。なのに」
「なのに、なんでこーなるかねー」

ジュネの呟きの続きを、星矢が引き受ける。
星矢は呆れたような顔をして、その肩をすくめた。
「ほんと、訳わかんねーよな、あの二人。ガキの頃のまま、全然成長なし」
「瞬の気が強くなった分、事態は悪化しているような気もするな。一輝がいないんだから、今度こそ うまくいくかと思っていたのに」
一輝以外の何者かの乱入のせいで事態が複雑になったと言わないだけの分別を、もちろん紫龍は持ち合わせていた。

そんなギャラリーたちの存在を無視して、氷河は熱心に自分の仕事に務めている。
エントランスホールを突っ切らないことには自室に戻ることのできない星矢たちは、結局その場で仲間の修羅場を見物し続けることになった。






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