「俺はガキの頃から おまえが好きだった。おまえだって、それは知っているはずだろう。俺は何度もおまえにそう言った」
「僕、氷河にそんなこと言われたことなんかないよ。僕は氷河のマーマみたいに金髪じゃないし」
まるで噛み合っていない瞬の返答に、氷河が僅かに眉根を寄せる
なぜ瞬がそんなところに引っかかっているのかが、氷河にはまるでわからなかった。
だが、それは幼い頃に確然と培われた瞬の最大のコンプレックスだったのだ。

「俺は別に金髪なんかにこだわりはないぞ。俺には、おまえがいちばん綺麗に見える。ガキの頃もそうだったし、今もそうだ」
「うそつきっ。僕のこと、ちんちくりん ちんちくりんって、いつも言ってたくせに!」
まるで手負いの猫のように噛みついてくる瞬に、氷河は長い嘆息を洩らすことになった。
「そういうことだけは憶えてるんだな」
「そう言ってたことは認めるんだ!」
瞬が、鬼の首でも取ったように勝ち誇り、氷河に詰め寄る。
そんなことで勝ちたくはない――というのが、瞬の本音だったのだが。

「おまえが実はとんでもなく可愛いんだと自覚させたら、おまえは過剰に自信を持って、自分が他の奴等に言い寄られるのを当然と思うようになるかもしれないじゃないか。俺は、そういう危険の可能性を減らしたかったんだ。おまえはガキの頃から本当に可愛かったから」
幼馴染みの説明を、瞬はまるで信じる素振りを見せない。
その頑なな様子に、氷河は、自分がある一つの危険の可能性を減らすために、別の危険の可能性を増す行為をしでかしてしまったのかもしれないことに気付いたのである。
「おまえ、まさか、本当に自分のことをちんちくりんだと思っているのか」

氷河の疑念はただの疑念では済まなかった。
氷河にしてみれば“ありえないこと”が、瞬にとっては つらい事実になってしまっていたらしい。
瞬は悔しそうに瞳に涙をにじませて、自分をちんちくりんにしてしまった男を睨みつけていた。
「氷河みたいに綺麗な顔の人に言われたら、信じるしかないでしょう! それに、実際に僕がちんちくりんかどうかなんて、そんなのどうでもいいことだもの。氷河の目に僕がどう見えているのかがすべてなんだもの。今だって、氷河は僕のこと放っぽって、ジュネさんとばっかりいるし、ジュネさんは美人で優しくて金髪だもの。だから僕は、やっぱりちんちくりんなんだ!」

氷河には、瞬の主張が半ば以上信じ難いものだったのである。
他者の美を客観的に認識する能力を持つ瞬が、なぜ自分の美だけは認識できないのか。
瞬にそんな誤認を生じさせてしまった原因が、幼い頃の自分の戯れ言だったというのなら、氷河は何が何でもその誤解を瞬の中から消し去らなければならなかった。

「俺が好きなのは昔からおまえだけで、俺が好きなのは当然、おまえの髪の色で、おまえの瞳の色で、おまえの声で、おまえの唇だ。ちんちくりんは方便だ」
「信じられない」
「どうすれば信じてくれるんだ」
「どうされたって信じられないもの。他の人のことばっかり見て、僕のこと見てくれてない人の言うことなんて、信じられるわけないじゃない!」
「……」
氷河は、ここ数日間の自分の不手際を、今更ながらに認めないわけにはいかなかったのである。
とにかく瞬の中にあるすべての誤解を解いてしまわなければならない――と、彼は思った。

「俺はあの女におまえの話を聞きたかったから、会えずにいた6年間おまえがどうしていたのかを知りたかったから、おまえのいないところで彼女にそれを聞いていただけだ。おまえが素直に話してくれたら、あの女に頼らなくても済んだのに、おまえは再会した時からつんけんして――」
「それが僕のせいだって言うの !? 会うなり、聖闘士になって帰ってきたのが奇跡だなんて言って、僕を死んだものと決めつけてたのは氷河の方じゃない!」
「おまえは芯が強いから、生きて帰ってくることは信じていた。だが、聖闘士になることは望んでいないと思っていたんだ。おまえが聖闘士になったことは奇跡だと思った」
「だ……だとしても、ものには言いようってものがあるでしょう!」
「再会の感激を無理に抑えたりせずに、抱きしめてキスでもすればよかったのか」
「そんなこと言ってないでしょ! ……んっ」

あの時、再会したばかりの瞬を驚かすわけにはいかないと考えて我慢したことを、氷河は実行に移した。
瞬の唇が震えている。
瞬がゆっくりと瞼を閉じるのが、その睫毛の感触で氷河にはわかった。
「俺が不注意で軽率で言葉が足りなかったことは謝る。だが、少しは俺の言うことも聞いてくれ。俺はおまえが好きなんだ。ガキの頃も、今もだ」

瞬の唇の感触をいつまでも味わっていたい気持ちはあったが、ほとんどすがりつくようにYシャツの袖にしがみついてきている瞬の表情も見てみたい。
その誘惑に負け、氷河は瞬の唇を解放した。
しばらく陶然としているようだった瞬が、やがて我にかえり、再び氷河を睨みつけてくる。
たった今甘いばかりだった瞬の唇を、瞬は自分で噛みしめた。

「ジュネさんに言いつけてやる」
「おい」
「やっぱ、困るんだ」
事ここに至っても なお意地を張り続けようとする瞬に、氷河は短く吐息した。
自分を抱きしめている男の腕から逃れようとする瞬の腕と背を引き寄せて、わざと作った親切顔で瞬に忠告する。

「これから俺がおまえにすることを あの女に報告したら、困ることになるのはおまえの方だぞ」
「これから……って、何する気」
「大人になったら おまえとすると決めていたことを、そろそろしようと思っている」
「……!」
瞬が怯えた目になるのを見て、氷河はむしろ安堵した。
それがどんなことなのかくらいは、瞬にも察しがつくらしい。
「恐がらなくてもいい。シャボン玉を扱うより優しくしてやるから」

「氷河……」
それまで気の強さを装っていた瞬の瞳が、飼い主に見捨てられかけた子猫のそれのような色になる。
氷河は、だが、この決定を先延ばしにする気はなかった。
そんなことをしたら、瞬はまた、どこから誤解の種を仕入れてくるかわかったものではない。
「ジュネの話を聞いた限りでは、幸いアンドロメダ島には俺以上におまえに好かれた奴も、俺以上におまえを好いた奴もいなかったようだし、俺はさっさとおまえを俺のものにして安心したい」
「あ……」

唇を引き結びながら、それでも瞬は、自分に無体なことをすると宣言した男の前から逃げ出そうとはしなかった。
それどころか、瞬の唇からは反駁の言葉さえ出てこない。
その反応が、氷河には意外だった。
「逃げないのか」
「逃げたいけど、足が……動かない……」
「正直な足だ。あとでたっぷり褒めてやる」

瞬の髪に手を伸ばし、氷河は道理のわかっていない子供を諭すように瞬に告げたのである。
「おまえには、あんな気の強い女より、俺みたいに大人しくて控えめで、おまえのためになら何でもしてやりたいと思っている男の方が似合っているんだ」
「ひょ……がの言うことは、いつも支離滅裂で信じられないんだもの……」

支離滅裂でも、理解できなくても、無視されるよりはいい。
瞬は、氷河の腕に促されるまま、その身を彼の胸に預けた。
「戦いは続く。俺たちはいつ命を落とすことになるかもしれない。俺の言いたいことはわかるか」
「あ……」
「今を大切にしなければならないということだ。そう意地を張らないでくれ」
「ぼ……僕は、意地なんか張ってない!」
「そうか、それはよかった」
抱きしめられた氷河の胸の中で、瞬はやっと大人しくなった。






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