「スキュティア卿は、やはり僕を女性と思っていたようです」
シュンがヒョウガの許に赴いたのは、彼自身の意思ではなく兄の指示だった。
スキュティア訪問で得た情報を兄に報告しながら、シュンは 行ってよかったと思っていたが。
「馬鹿が。小麦の豊作に浮かれて、男女の区別もつかなくなっていたか」
「悪い人ではないですよ。とても情が深くて優しくて可愛い人……」

シュンが妙にしみじみとした口調で言う様を、シュンの兄は不思議なものを見るような目で見詰めることになったのである。
人に会った・・・あとに、シュンがこんな穏やかな表情を浮かべるのは、滅多にないことだった。
「稀代の大馬鹿者とはいえ、王の要請を無視し、干渉をはねのけ、自領を守り切って5年間の中立を保ってのけた男だぞ。おまえみたいな年下の子供に『可愛い』なんて言われていることを知ったら、それは侮辱だと怒り狂うんじゃないか? 決闘くらい申し込んでくるかもしれん」
「むしろ喜んでくれそうな人でした」
「可愛いと言われることをか」
「はい」

シュンがそう言うのなら、それは事実なのだろう。
シュンの兄は、大仰な身振りで両の肩をすくめた。
「そんなのがスキュティアの領主か。スキュティアは 貴族の領地としては国内最大だぞ。独立した国として十分にやっていけるほどの」
「宮廷での出世や権謀術数には全く興味がないようでした。領地経営のこと、領民のことばかり心配していた。今は別のことで頭がいっぱいのようでしたけど、彼は領民たちには とてもいい領主なんだと思います。彼のためにも、リビュアとスキュティアの間にある禍根を取り除いてあげたい」
「おまえの好きにしろ。リビュアはおまえの領地になる」

シュンが『何かをしたい』という意思を持つことは、これもまた滅多にないことである。
良い兆候だと、シュンの兄は思った。

「ともかく、スキュティアの大馬鹿領主からおまえへの求婚話は、あとで陛下に笑い話として提供しておく。……あの阿呆振りは、周囲を油断させるための芝居ではないだろうな?」
シュンが首を横に振ると、シュンの兄は改めて呆れたように嘆息した。
そして、弟の表情を窺いながら、ふと思いついたようにシュンに告げる。

「陛下が……おまえが側にいないことを不安がっているようなんだが」
「その方がいいでしょう。僕に頼らず、ご自分の人の見る目を養い、人の心を変えることのできる国王になっていただくために、僕は陛下のお側にいない方がいい」
「しかし――」
この国の王は、自分の支配する国に、スキュティアの領主ほど磐石の支配力を持っているわけではないのだ。――まだ。
事実、スキュティアの領主は、王に叛意を示さない代わりに、恭順の意も示さない。
シュンという手駒を持っていることに、王がどれほど心強さを感じているのかを、彼の近習であるシュンの兄はよく知っていた。
が、シュンの意思は変えられるものではないらしい。

「陛下は――僕を頼りにしていると言いながら、決して僕に触れられる場所まで近付いてこない。僕を信じてはいらっしゃらないんです」
スキュティアの領主のことを語っていた時とは打って変わって 寂しげに瞼を伏せる弟に、シュンの兄の胸は痛んだ。
彼にできることは、信頼の証として、シュンの頬に手で触れることだけ。
兄の手の温かさに触れたシュンは、気を取り直したように その顔をあげた。

「ヒョウガは――スキュティア卿は、僕の力を知っても、もしかしたら僕を恐れたり嫌がったりしないんじゃないかと思うんです」
「シュン! おまえ、まさか、あの大馬鹿者に知らせるつもりか……!」
「……」
兄の反対は当然のことである。
シュンは、力なく首を横に振った。

「言いません。僕のこれは 実の父にすら疎まれた力。出会ったばかりの他人に知らせる勇気は、僕にはありません」
「シュン……」
哀れで健気な弟――。
この弟を幸福にするためになら、自分はどんなことでもするだろう――。
そう思っていることをシュンに知らせないために、シュンの兄は最愛の弟の頬から、触れていた手を離したのだった。






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