取り押さえられた男は、ヒョウガの母の従兄――要するに、リビュアの前領主――の息子だった。
逆恨みもいいところだったが、リビュアの前領主は自らの不遇と不運をスキュティアの領主のせいにし、呪詛の言葉を吐きながら、場末で死んでいったらしい。
本来ならヒョウガの母は自分の妻になるはずだった女で、それをスキュティアの前領主――つまりヒョウガの父――が、横からリビュアの領地共々奪い取ろうとしたのだ――というのが、取り押さえられた男の父が飽かず繰り返していた恨み言だったらしい。
そんな言葉を、他の女性との間にできた息子の前で繰り返す父親の気が知れなかったが、ヒョウガは今になって、リビュアの前領主の理不尽かつ執拗なスキュティアへの嫌がらせの理由がわかったような気がしたのである。

「シュン、ありがとう。おかげで命拾いをした。剣を持てないどころか、熟練した者にも真似できない素早い対応だったな。さすがは騎士殿」
スキュティアの領主を襲った男は、実父のみじめな死に自棄になっていただけで、ヒョウガへの恨みは以後も継続するようなものではないようだった。
ヒョウガは彼に同情し、スキュティアの領主に仕えることを提案したのだが、彼も恥は知っていたらしく、しばらく暮らしに困らないほどの金を与えられると、黙ってスキュティアの城を出ていった。
セイヤたちはヒョウガの手ぬるい処置に大いに不満を覚えたらしいのだが、一刻も早くシュンに礼を言いたかったヒョウガは、不満顔の彼等をやりすごし、シュンを待たせていた客間に駆け戻った。

そんなヒョウガに、シュンが暗い目をして尋ねてくる。
「ヒョウガ。僕を変だと思ってる?」
「なに?」
「わかるはずのないことが、僕にはわかった。僕が ヒョウガに彼の殺意を知らせた時、彼はまだ剣に手をかけてもいなかったし、かけていたとしても、それに毒が塗ってあることまで、僕にわかるはずがない。普通の人なら、あれは、たとえば僕がヒョウガの信頼を得るために仕組んだ狂言だったんじゃないかと疑うよ」
「それは考えていなかった」

それはヒョウガの本心だった。
言われてみれば、シュンの言う通り、確かにそれは不自然なことである。
その不自然さは理解できたのだが、だからといってシュンを疑う心はヒョウガの中には一向に湧いてこない。
ヒョウガにしてみれば、シュンの言う“狂言”こそが不自然で無意味なことだったのだ。

スキュティアの領主はシュンと出会って間もなく、彼との間に信頼を培えるほど互いを知り合ってもいない。
だが、スキュティアの領主は、シュンに恋をしているのだ。
恋とは、恋した人を信じたいという気持ちに他ならない。
当然シュンは、そんな狂言を打つ必要はないのである。

――と、ここまで考えてから、ヒョウガは、スキュティアの領主がシュンに恋していることをシュンは知らない――という事実を思い出した。
もっとも、それで彼の胸の中にシュンへの疑いが生まれることはなく、彼は、自分の心をシュンに伝えられずにいる自分自身を歯痒く思うことになっただけだったが。

シュンが、腰掛けていた窓際の椅子からゆっくりと立ち上がり、ヒョウガの側に歩み寄り、その手でヒョウガの腕に触れ、すぐに離す。
ヒョウガが、本当に自分を疑っていないことが、シュンにはわかった。
そして、これほど自分を信じてくれている人にこれ以上黙ってはいられないと、シュンは覚悟を決めたのである。
一度大きく息を吸い込んでから、シュンは思い切って その事実をヒョウガに告げた。
「僕、人の心が読めるんです。その人に触れれば」
――と。

「……」
ヒョウガが無言で、驚きに目をみはる。
それが嫌悪の表情に変わる様を見たくなくて、シュンは自分の顔を伏せた。
「その力を知った人は、僕の父のように僕を恐れて避けるようになるか、国王陛下のように僕の力を利用しようとするか、そのどちらかで……。兄だけが、僕を恐れずに接してくれる唯一の人だった」

幼い頃には、誰にでもその力が備わっているのだと信じていた。
いつも最もシュンの側にいた兄は 常に考えと行動が一致している人間で――というより むしろ、行動より心根の方が はるかに優しい人間で、シュンは人間とは皆そういうものなのだと思っていた。
長じて、ある日、滅多に家に帰ってこない父に触れた時、その心の内にある 権力へのすさまじい野心や敵への憎悪を読み取ったシュンは、恐れおののきながら、父に、
「なぜ父様は王様を殺そうとしているの」
と訊いてしまったのである。

その時からシュンの不幸は始まった。
実の息子に父が向ける嫌悪、恐怖、兄よりも父のような人間の方がこの世には多く存在すること。
シュンを恐れ続けた父の死後は、その兄でさえ、彼の正義を通すためにシュンの力を利用するようになった。
人に触れることを極端に恐れるようになったシュンは、人に触れられることもなく、自らの力と孤独に耐えながら、これまで生きてきたのだ。

そうして、ヒョウガに出会った。
王位を左右できるほど強大な力を持ちながら 極めて単純で悪意がなく、その上、シュン自身が戸惑うほどにまっすぐな好意を、彼はシュンに向けてきた。

ヒョウガが少しかすれた声で、シュンに尋ねてくる。
「心が読める?」
ヒョウガの表情を確かめることが恐ろしく、シュンは俯いたままで頷いた。
「はい」
「触れ合えば?」
「そうです」

この人も、その心を読まれた時の父と同じように、忌まわしい力を持った者に恐怖と嫌悪の目を向けてくるのだろう――と思う。
だが、それも自業自得なのだ。
シュンは、ヒョウガの心に触れるのが嬉しくて、これまで事あるごとに彼に触れ、彼の心を読んでいたのだから。
その事実を知ったヒョウガが、不気味な力を持つ化け物に嫌悪の思いを抱くのは当然のことだと、シュンは思った――わかっていた。
だから――ヒョウガに非難の言葉を投げつけられることを覚悟して、シュンは唇を噛みしめた。






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