声すらも発せずに、瞳を見開いているばかりの瞬の顔を盗み見ながら、星矢は低く呟いた。
「瞬とやれて・・・りゃ満足なのかと思ってたら、あの馬鹿、ほんとに瞬のこと好きだったんだな……」
「それは最初からわかっていたことだろう」
「ん……それはそうなんだけどさ……」

氷河が瞬を失いたくないと思っていることは、もちろん星矢も知っていた――わかっていた。
だが、その思いが、瞬を失わないために自分が失われてもいいと決意できるほどのものだとまでは、星矢は思っていなかったのである。
氷河の命が失われてしまえば、世界は瞬を失わなくても、氷河は瞬を失うことになる――氷河は瞬と共にいることができなくなる。
それでも瞬が生きていてくれるなら――と氷河は考えた――感じた――のだ。
だから氷河は、そんな病にとりつかれてしまったのだろう。

ともあれ、氷河がとりつかれていたのは悪心を持った神ではなく、強迫観念にすぎなかった。
ならば、それは、氷河の心ひとつで解決できることなのだ。
「一応、氷河が心配しているようなことは起きない、神々はもう瞬を犠牲にすることはないという強い暗示をかけてはおいたけど」

「瞬? 『神は氷河を犠牲にしない』という暗示をかけなければ、意味がないんじゃないんですか? 氷河は、自分が神に利用されようとしていると思い込んでいるわけですし」
「氷河が恐れているのは、瞬を失うことなんですもの。瞬が無事とわかれば、氷河の病気も自然に快方に向かうと思うわ」
紫龍の当然の疑念を、沙織はごくあっさりと否定した。
その途端に、どんな言葉より、どんな呻吟の声よりも雄弁な瞬の涙が、その瞳からぽろぽろと零れ落ち始める。

あるものをほしいと思い、失いたくないと願うのは、人の欲であり我儘なのかもしれない。
だが、そのものが失われないために、自分の命が消えてしまっても構わないと考えるなら、それは欲でも我儘でもなく――それこそが愛と呼ばれるものなのではないだろうか。
氷河の中にある その思いを知って、瞬の涙はとまらなかった。

そんな瞬の肩に、沙織がそっと手を置く。
そして彼女は、女神というよりは優しい人間の声で、瞬に告げた。
「その暗示のせいもあって、今回のことを氷河はほとんど忘れかけているの。まだ完治とはいえないけれど、氷河は徐々に元に戻ると思うわ。でも、あなたが自己犠牲精神を発揮すると、またぶり返すかもしれないから――氷河の前では、なるべく氷河と一緒に生きていたいって態度を示すようにしてちょうだい」

言われるまでもなく――意図して そんな態度を装わなくても――それは今の瞬の心からの願いだった。
「僕は氷河と一緒に生きていたいです」
「ええ」

『人が愛と言う気持ちを持たないのなら、人間など滅びてもよい』と豪語する女神は、おそらく、その美しい気持ちを持つ人間がこの地上にただ一人しか存在しなくても――ただ一人でも存在するのなら――、人間というものに絶望することなく、人の世を守り続けるのだろう。
そういう目をして、彼女は、瞬の“願い”に頷いた。






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