Project Babel







ノアの洪水の後。
地に住む人々はみな同じ言葉を用い、同じように話していた。
東の方から移動してきた人々が、シンアルの地に平野を見付け、そこに住み着いた。
彼等は、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。
石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。
彼等は、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、名をあげよう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

主は降って来て、人の子らが建てた塔のあるこの町を見て言われた。
「彼等は一つの民で、みなが一つの言葉を話しているから、このようなことを始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても妨げることはできない。我々は降って行って、ただちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞きわけられぬようにしてしまおう」
主は彼等をそこから全地に散らされたので、彼等はこの町の建設をやめた。

この町はバベルと呼ばれた。
主がそこで全地の言葉を混乱バラルさせ、また、主がそこから彼等を全地に散らされたからである。


―― 旧約聖書 『創世記』 第11章 ――



「ひなたぼっこ? どうしてこんなとこに一人だけでいるの?」
小春日和の城戸邸の庭。
まだ緑の色を保っている下草の上、やわらかい陽だまりの中に、昨日この邸に連れてこられたばかりの金髪の子供が、両足を投げ出すようにして座り込んでいる。
彼は何をするでもなく――しいて言うなら、すっかり高さを増した秋の空の向こうにある何かを、ぼんやりと視界に映しているようだった。

「……」
問われたことには答えず、彼がその視線をゆっくりと瞬の上に運んでくる。
彼の瞳は、ほんの2ヶ月ほど前、この庭の上に広がっていた夏の空と同じ色をしていた。
一点の曇りもないその青さに、瞬は一瞬 息を呑んだのである。

「あ、僕、瞬っていうんだ。君は氷河っていうんでしょ。辰巳さんが、ロシアから来た子だって言ってた」
「……」
「みんなのとこに行って、みんなと一緒に遊ぼうよ。ロシアってどんなとこ? どこにあるの? ロシアの遊び、僕たちに教えてくれる?」
「……」

瞬が何を話しかけても、精一杯の笑顔を作っても、氷河は口をへの字に結んで沈黙を保ったままである。
瞳は無垢に澄んでいたが、その瞳には意思的な強い光が宿っており、瞬には、彼が物怖じするタイプの子供には見えなかった。
その時になって、瞬は初めて、ある可能性に気付いたのである。
「もしかして、氷河は日本語がわからないの?」

おそらく瞬に問われたことの意味がわかったからではなく、瞬が困ったような顔をしたから――氷河は、更にきつく唇を引き結び、俯いた。
その様子があまりに悔しそうだったので、彼は、彼の仲間たちが使う言葉を理解したいと思ってくれているのだと、瞬は確信したのである。

陽だまりの中に一人きりで座り込んでいる氷河に、瞬は手を差し延べた。
瞬も、たった一人で言葉も通じない国にやってきた彼を、彼にわかる言葉で慰め励ますことができたならどんなにいいだろうと思ったから。






【next】