「ハーデスの呪いを解くことはできないのかな」 「おまえが誰かを選んで、そいつの願いを叶えてやれば、呪いは解けるんだと。つまり、おまえがとんでもない力を使えるのは、1回きりらしい。だから、みんな我先にとおまえに群がっていったんだ」 ハーデスは、彼が力を与えた者よりも、その力の恩恵を享受できるかもしれない者たちに、より詳細に瞬の力を説明したものらしい。 星矢に知らされた事実に、瞬は一応の安堵を得ることができた。 「永遠ではないんだ。なら、僕、誰かの小さな願いを叶えてあげて、それで終わりにする」 そう告げた瞬に、星矢が首を横に振る。 「そんなことしてみろ。おまえに選んでもらえなかった奴等が逆恨みして、おまえをリンチにかけかけない」 「そんなことが……」 そんなことがあるはずはない――と、瞬は思ったのである。 戦で人が減り、村の存続自体が危ぶまれるという現実的な理由はあったにしろ、親や家を失った孤児たちを多く受け入れてくれたこの村の住人たちは、瞬にとっては慈悲心にあふれた優しい人々だった。 神に無理矢理押しつけられた力を瞬が使いきってしまったとしても、すべてが元に戻るだけのことではないか。 それとも、一度大きな夢を見せられ、それを奪われるということは、人をそこまで変えてしまうほどの大事なのだろうか。 瞬にはわからなかった。 仲間の言葉に戸惑う瞬に、星矢は同情したような目を向けて、だが、きっぱりと断言した。 「おまえは、今は自分の身を守ることだけを考えてた方がいい。誰の願いも叶えずにいる限り、切り札はおまえが握っていることになる。いいか。おまえの力で地上の支配者になった奴だって、自分の願いが叶ったら、それで用済みと考えて、おまえを片付けてしまわないとも限らないんだ。おまえは、誰の願いも叶えちゃ駄目だ」 星矢の言うことは至極尤もなことだった。 普段は何をするにも あまり深く物事を考えず、どちらかといえば行き当たりばったりで対処することの多い星矢が、珍しく瞬にも考え及ばない可能性にまで言及してくる。 大人しい幼馴染みの身を心配して、彼は彼の苦手な“考えること”をしてくれたに違いなかった。 突然降って湧いた災難に耐えるだけで精一杯の瞬に代わって。 「僕……どうすればいいと思う?」 (仮の)家にも帰れない。 昨日までは瞬に手を差し延べてくれていた村の人々も、今はもういない。 我が身を守るために有効な方策の一つも、今の瞬には思いつかなかった。 望んでもいなかった力を与えられてしまった現状に耐えるのがやっとの瞬の代わりに考えることをしてくれている星矢が、瞬に瞬の採るべき道を一つ示してくる。 「聖域に行くのがいちばんだと思う。あそこは女神アテナの御座所だ。アテナは、地上の王たちとは違う次元で、既に世界を支配しているようなもんだろ。アテナはハーデスとは敵対し合ってるって話だし、何かいい策を講じてくれるかもしれない。今のおまえには聖域に入る資格があると思うんだ。特別に強大な力を持ったおまえを、アテナは聖域に迎え入れてくれると思う」 「聖域へ……?」 「どうせ、来年には行くつもりだったんだし、あそこには氷河や紫龍もいるし」 「氷河……」 星矢が口にしたのは、瞬の幼馴染みたちの名だった。 皆 同じように戦で親を亡くし、戦乱を逃れてやってきたこの村で出会った。 瞬は彼等にもう2年も会っていない。 青年に成長した戦災孤児なら誰でもそうするように、氷河と紫龍は2年前 聖域に向かい、そのまま村には帰ってこなかった。 彼等が村に帰ってこないということは、彼等が聖域を守るための戦力になり得ると認められたことであり、それは喜んでいいことなのだ。 アテナと聖域を守る戦士は、アテナの聖闘士と呼ばれていた。 アテナの聖闘士になりたい者は聖域に行く。 訓練を受け、その才のある者には聖衣が与えられる。 聖闘士になれる者はまれで、大抵は、せいぜいが聖域の守備兵や雑兵の類で終わるらしいが、それでもアテナの統べる聖域に入る資格を有していると認められれば、彼等は地上の戦からは逃れられる。 だから、自分のものと言えるものを持たない少年・青年たちは皆、聖域に向かうのだ。 瞬と星矢が氷河たちと共に聖域に向かわなかったのは、聖闘士候補として聖域に臨むには、年齢と身長が足りなかったからだった。 明確な基準が設けられているわけではないらしいのだが、2年前では、どう考えても星矢と瞬は聖域に迎え入れてもらえそうになかった。 いつか必ず聖域で再会しようと固い約束をして、瞬たちは氷河たちと別れたのだ。 「村には戻らず、今すぐに行け。アテナがきっといい方法を考えてくれるって。アテナが聖域の守りを固めているのは、地上の戦に関与するためじゃなく、地上の支配を目論む邪神に対抗するためだって噂もあることだし」 「……」 氷河に会えるものなら会いたい。 アテナの敵かもしれない神に不要な力を与えられてしまったことが、逆に聖域に迎えられる可能性を自分に与えてくれたというのなら、それを利用しない手はないとも思う。 身寄りのない瞬たちに、自分たちの村に住むことを許してくれた村人たちは本来は善良な人々で、今は取り乱していても、やがては元の彼等に戻るだろう。 おそらく、真に 瞬は、10年近くの時を過ごしてきた この村を、戦いの場にしたくはなかった。 同じことを、星矢も考えているだろう。 幸い、凍える季節でもない。 森野には食物となり得る果実や野菜がいくらでもある。 金の類は持たなくとも――すべてが燃え尽くされた戦場で生き延びてきた瞬は、自分の命を保つ術は心得ていた。 「でも……」 「今なら このことを知る奴は村の外にはいないだろ。いたとしても、誰もおまえに危害を加えようとはしない。そうすれば元も子もなくなるんだからな。おまえは村のためを思って聖域に向かったって説明すれば、村の奴等も納得してくれるさ。村の騒ぎが収まったら、俺も聖域に行く」 星矢に力づけられても、一人で旅立つことは、瞬には心細くてならないことだった。 戦火の中で、瞬がこれまで生き延びてこれたのは、いつの時も瞬が一人きりではなかったからだったのだ。 星矢の説得にも関わらず、そして、これは聖域に迎え入れてもらう好機なのかもしれないということはわかっていても、瞬は、やはり自分はさっさと“誰か”を選んで その者の願いを叶え、不要な力を使ってしまうのが最善の策なのではないかと思ったのである。 気弱な仲間を気遣わしげに見詰めている星矢の瞳を見詰め返し、瞬は、 『星矢が生き別れのお姉さんと会えますように』 と心の中で願った――願ってみた。 が、世界は何も変わらなかった。 |