それでね。
その恩返し――というわけじゃないけど、私は、2年前から、都が都民のための文化活動の一環として開設してるカルチャースクールの日本画教室の講師なんてものをするようになった。
週に2回、絵を好きな生徒たちの相手をすればいいだけの、わりと楽な仕事よ。
手法の説明や作品の鑑賞法を教えて、あとは実習させておけばいいだけだから。
絵を描き始めると家から出なくなる私には、いい気分転換にもなってる。

そのカルチャースクールの教室がある施設のラウンジで、冷めたお茶を前に溜め息をついていたら、私の教室の生徒が私に声をかけてきた。
「先生、どうかなさったんですか?」
「あら、瞬ちゃん」
私に声をかけてきたのは、私の教室の最年少の生徒。
目下、私のいちばんのお気に入り。
というより、初めてのお気に入り。

まだ高校生なんだけど、素晴らしい才能の持ち主よ。
まさか善良な市民の趣味のための教室でこんな才能に出合えると思っていなかった私は、瞬ちゃんの才能に気付いた時には大興奮したわ。
才能だけじゃないのよね。
瞬ちゃんは可愛くて優しくて神経細やか、その上、とっても礼儀正しくて――今どき、この日本にこんな稀有な高校生がいるのかと思ったくらい。

ほんとは私、カルチャースクールの講師なんて仕事、最初はさほど乗り気じゃなかったのよね。
絵を描くという行為、そのコツは、人に教えられるものじゃないと思うの。
描きたい気持ちがあるなら描けばいい。
基本的な技術を教えたあとは精神論の域。
センスの磨き方なんて、個々人の経験で培うことしかできないわ。

画業よりネームバリューを見込まれて、ぜひにと頼まれて始めた講師だったけど、本音では、こんな仕事を引き受けて、私が講師料以外に得るものなんてあるのかしらと思ってた。
でも、その最初の日に、
「先生、どうぞよろしくお願いします」
って、生徒代表の瞬ちゃんに言われた時、私は、初めて氷河に『マーマ』って呼ばれた時と同じくらい感動したわ。

私は、人間はたくさん見てきた。
ロシアでも日本でも。
海外に招待されて、講演に行ったことも数知れず。
十数カ国は回ったと思う。
いろんな国のいろんな民族を、この目でじかに見てきたのよ。
でも、どこの国でも瞬ちゃんみたいな美しさを持った人間には会ったことがない。

白人にはない肌理の細やかなミルク色の肌。
光の加減で不思議な色を帯びる、やわらかい髪。
なにより、子供みたいに澄んでいるのに、理知的な輝きをたたえている瞳。
瞬ちゃんは、何もかもが普通じゃない。
氷河みたいに派手な印象はないし、態度は控えめだし、その美しさに気付かない人は永遠に気付かないと思うけど――でも、私は画家よ。
画家の目を持っているの。

ジョージア・オキーフは、ある日、花屋の店先で、誰もが見過ごしているカラーリリーの花に目をとめて、
『この花を大きく描くのだ。忙しいニューヨーカーたちがこの美しさに気付くように』
と言って、キャンバスいっぱいに花の絵を描き始めたそうだけど、そんな気持ちにさせるものを、瞬ちゃんは持ってる。
できるなら私は、瞬ちゃんの絵を描きまくって、『この美しさに気付け!』と世界中に向かって訴えたいとこよ。
でも、私、もともとの畑が墨の山水画でしょ。
人物画はあんまり得意じゃないのよね。
未熟な筆でこの美しさを表現しきれないことに悔しい思いをするくらいなら、眼福にあずかってるだけの方がいいと考えて、その無謀に挑んだことはない。

でもねぇ。
どうせなら、氷河が連れてくるどこの馬の骨とも知れない女の子より、瞬ちゃんみたいに可愛い子に『マーマ』って呼ばれてみたいって、本気で思ったりするのよね。
ええ、私は面食いよ。
美しいものが大好きだわ。

とはいえ、残念なことに、それは見果てぬ夢。
こんなに可愛いのに、瞬ちゃんは男の子なのよね。
世の中って、ほんとにうまくいかないものだわ。






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