私が担当している日本画の教室は、週2日で3ヶ月のコース。
でも、瞬ちゃんみたいにずっと参加し続けてくれる生徒もいる。
そういう生徒は、家では絵を描くスペースがなかったり、小さな子供に邪魔されるっていう理由で、専ら 教室のある日だけこの場所で絵を描く人か、日本画にのめり込んじゃって趣味の域では収まらなくなってきた人。
作品を何作も描いて、私の講義より 私の助言や批評を求めてくる生徒たち。
瞬ちゃんは、もちろん後者の生徒よ。

瞬ちゃんが今描いているのは80号・縦150センチの大きさで、何を隠そう、私の肖像画。
瞬ちゃんは私と違って人物画が得意で、お兄さんの絵やら、この教室のクラスメイトのおばあさんの絵やらを何作も描いてる。
どうでもいいことだけど、瞬ちゃんのお兄さんは、氷河と大して歳が違わないなんて思えないほど渋くていい男だったわ。
絵でしか会ったことはないんだけどね。

で、その絵がまた、どれもすごく見事な出来で、瞬ちゃんが恥ずかしがりさえしなかったら、私はいくらでもお金を積んで買い取っていたところ。
実際申し出たことはあるの。
そしたら瞬ちゃんは、恥ずかしそうに、
「お金なんかいりませんから、先生を描かせてください」
って。
完成したらプレゼントするからって、嬉しいことを言ってくれた。
その絵が完成間近なのよね。

絵の中の私は、自分で言うのは はばかられるけど、とても美しいわ。
あえてモデルを他人と見て批評するなら、表情がやわらかくて気品があって、でも瞳には力があって、それで、何ていうか、誰かをとても愛してて、同時に誰かに愛されている人なんだってことがわかる絵。
白いブラウスを着た聖母とでも言いたくなるような女性の絵よ。
カルチャースクールの趣味の作品で片付けるには勿体無いくらいの絵。

「これ、再興院展に出してみましょう。大観賞――いいえ、内閣総理大臣賞だって夢じゃないわ」
「ええっ」
私がそう言ったのは、今突思いついたことじゃなく、もう1ヶ月も前から考えていたことだったんだけど、瞬ちゃんは私の提案にびっくりしたように瞳を見開いた。

「そ……それは駄目です。これは先生に受け取ってもらうために、そういう気持ちを込めて描いた絵で、他の人に見せるための絵じゃないんです」
「内閣総理大臣賞をつけて、私にプレゼントしてくれればいいのよ」
「無理です、そんな」
「じゃあ、文部科学大臣賞でもいいわ」
「先生……」
瞬ちゃんが、困ったような顔をする。
でも、私は滅茶苦茶 本気。

瞬ちゃんのこの才能は尋常のものじゃないわ。
多分、私より才能はある。
何ていうか、描く対象を見詰める目が優しくて清らかで、見てる者がいつまでも眺めていたいと思うような絵を描く。
(一応言っておくけど、私はナルシストじゃないわよ)
瞬ちゃんなら――瞬ちゃんの目なら、氷河の外見に目を眩ませることなく、その真価を見極めることができると、私は確信してるわ。
あの子の一途な優しさと強さを、瞬ちゃんならきっと。

それにねえ。
瞬ちゃんがどんなに奥床しくて控えめな子だって、この才能はいつかは誰かの目にとまるでしょ。
私は、私の後継者と言える画家を育てたい。
瞬ちゃんを内弟子に取ってもいいってくらいに思ってる。
瞬ちゃんが女の子だったら、私は、氷河に否やは言わせず、瞬ちゃんを氷河のお嫁さんにするわ。
瞬ちゃんは素晴らしい絵を描いて、その絵と瞬ちゃん自身の美しさで 私の目を楽しませてくれて、その上、年収数十億。
私は左ウチワで、老後も安泰。
氷河よりずっと頼りになるわ。

それができないのは、瞬ちゃんが男の子だから。
ああ、瞬ちゃん、瞬ちゃん、あなたはなぜ男の子なの!
私は聖母マリアよりジュリエットの気分だわ。
「氷河の連れてくる女の子なんかより、私は瞬ちゃんの方がいいわ……」
あら、つい本音が出ちゃった。

「先生?」
内閣総理大臣賞の話が突然 脈絡もなく氷河の彼女の話に逆戻りしちゃったことに、瞬ちゃんはちょっとびっくりしたみたい。
そりゃそうよね。
私の中ではちゃんと繋がってても、言葉だけ聞いたら、これって、私はうわの空で瞬ちゃんの絵の話をしながら氷河のこと考えてたんだって思われても仕方のない流れ。
でも、瞬ちゃんは気を悪くしたみたいな顔は見せなかった。
代わりに瞬ちゃんは、なんだか少し寂しそうに笑った。

「そんなに氷河先輩が心配なんですか? 氷河先輩は、先生のお気に召さないような人を選んだりはしないと思いますけど。……多分」
うん……そうかもしれない。
瞬ちゃんの言う通りなのかもしれない。
でも、それはそれで癪だと思うのが、息子を溺愛してる母親のフクザツな親心なのよね。
こんな私の気持ち、瞬ちゃんにはわからないに違いない。

「ごめんなさいね。愚痴なんか言うつもりじゃなかったの。氷河を信じるべきだって、理性ではわかってるつもりなんだけど……。瞬ちゃんは氷河のことを知ってるんだと思うと、つい口がなめらかになっちゃって」
「いえ、僕、早くに母を亡くしたので、お母さんってこんなふうなのかなあ……って、氷河先輩が羨ましいです」
「まあ……」

目を見れば、それが追従ついしょうや社交辞令じゃないことはわかるわ。
自分の言葉に恥じ入ったみたいに、瞬ちゃんはすぐに目を伏せちゃったけど。
ああ、本当に瞬ちゃんが女の子だったなら、私は即座に母親の大権を発動させて、瞬ちゃんとお付き合いするようにって、氷河に厳命するのに。
世の中って、本当にままならないものだわ。






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