「相変わらず、年齢不詳で お若い」
らしくもなく世辞めいたことを言ったのは、ヒョウガの滞留先の女主人が、母に好意を寄せていた女性だから、だった。
ヒョウガ自身も この遠い親族に好意を抱いてはいたが、本来彼女は ヒョウガが好むタイプの女性ではなく――つまり、彼の母には似ず――非常に口数の多い 賑やかな女性だったのだ。

「噂の的よ、あなた。果たして北の公爵殿は戴冠式で新王に跪き、臣下の礼をとるのかどうか」
伯爵夫人は、興味本位でそんな軽口をきかれることをヒョウガが好まないことを知っているくせに、いかにも興味本位といった様子でヒョウガの顔を窺ってくる。
腫れ物に触るような態度でないことが貴族らしくなく――今のヒョウガには、その軽やかさが好ましく感じられた。
それは実に彼女らしい態度だった。

王の戴冠式は、国の威信がかかる重要な儀式で、当然のことながら準備に時間がかかる。
『新王』と呼ばれている若い王子は、戴冠の式を済ませておらず、正式にはまだこの国の王にはなっていない。
この国には、10の大きな州があり、その州を治めている10人の大貴族の了承が、王の正式即位の必要条件とされていた。
それは王が王冠を戴いてからの形ばかりの儀式なのだが、すべての臣民を代表する10人の貴族たちには、戴冠式で王の即位に異議を唱える権利が与えられていた。
即位に異議がない場合には、新王に跪き、跪拝の礼――臣下の礼――をとることになる。
もしヒョウガが新王に臣下の礼を取らなかった場合、王は、彼を言葉か金か軍事力で“説得”しなければならなくなるのだ。

「新王の人となりを見極めてから決める」
「ということは、新しい王様が無能と判断したら、兵を挙げるということ?」
「無能なのか」
「自分で判断することね」
ヒョウガの遠縁である伯爵夫人は、彼女の希望や判断をヒョウガに押しつけることはしなかった。
ヒョウガの親族ということは、新王の親族でもあるということである。
前王が公の場に出すことをほとんどしなかったために謎めいてさえいる新王と、彼女は面識があるようだった。

「戴冠式前に会うことができるかどうか、怪しいものだな。一応、王には使いを出してあって、戴冠式前の面会を申し入れているんだが、回答が来ない。会うという返事が来たら、すぐに都に入ることのできるようにと考えた上で、ここで数日 都入りを待つことにしたんだが」
「まあ、少しでも私と一緒にいたいから、こういう予定にしたのだと思っていたのに」
伯爵夫人が、わざと拗ねた振りをして、ぷいと横を向く。
ヒョウガは彼女の反応を完全に無視して、言葉を継いだ。

「新王は、戴冠式まで俺と会うのを避け、どさくさ紛れに俺に臣下の礼をとらせるつもりなんじゃないかと疑っているところだ」
それは自分に自信のない者のやりようである。
のらりくらりと決定的場面を避け続ける男なら、それはそれで王の人柄の判断材料になる――と、ヒョウガは思っていた。

「多分 返事は来ないわよ。新しい王様は今は王宮にはいないもの」
横を向いていた伯爵夫人が すぐにヒョウガの方に向き直る。
そして、彼女は、思いがけないことをヒョウガに知らせてくれた。
「なに?」
「父君の死と王位継承があまりに突然のことだったから、気持ちを落ち着かせたいと言って、一人で西の離宮にこもっているの。西の離宮は、王宮からは馬で3日の距離があるわ」

「……度胸のある男ではないようだな」
ヒョウガが低く呟く。
しかし、それは必ずしも新王――今はまだ王太子――が 王の資質に欠けていることの証左となるものでもない。
『血気盛んではない』『突然自分の手に転がり込んできた王位に浮かれてはいない』――それが『臆病』なのか『慎重』なのかということは、人づての話だけで判断できなるものではなかった。
事実、この国建国以来最高の賢王と言われている前王は、何事にも実に慎重な王だったのだ。

戴冠式までの5日間を、本当にこの館で無為に過ごす羽目になるのかと渋い顔になったヒョウガに、伯爵夫人が楽しそうに笑いかけてくる。
「王様には振られても、ここにいる間、あなたに退屈はさせないから、安心していて」
彼女はヒョウガに、そう保証してくれた。






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