ローマ人に連れ去られたシュンの身を案じて、 手に不吉な松明を持ったローマの将軍が、炎の中に野蛮人の姿を浮かびあがらせ、薄い笑みを浮かべて、言う。 「貴様の砦のあった村は すべて焼き払ったぞ」 「なにっ !? 」 「ローマ軍は大軍だから、夜には動けないものと油断していたようだな。村の中に忍び込むのも、主要な建物に火をつけるのも簡単だった。石材でなく木と漆喰でできた家屋は小気味よく燃えてくれたし、城砦もほぼ打ち壊した。住民は皆、焼け死ぬか、ローマ兵の剣で切り刻まれた。逃げ延びることができたのは、利口で判断力のある野良犬くらいのものだろう」 「馬鹿な……!」 ブリトン族はブリタニアの国の中で最も勢力があり、豊かな氏族である。 融通の利かない老人たちもいるにはいたが、大半は鍛えた身体を持つ男たち。美しい女も多い。 ローマ軍には、ブリトン族は滅ぼし去るよりも 生かしておいて利用する方が得策であるはず、ローマの支配への従順を望みこそすれ、消滅を望むはずがない。 これまでヒョウガはそう考えていた――たかをくくっていた。 有益な奴隷にできるはずの1万のブリトン族を、ローマ軍が惜しげもなく殲滅してしまったというのなら、この司令官は損得の計算ができなくなっている――狂っている――と、ヒョウガは思わざるを得なかった。 ローマ軍の司令官の狂気の理由を、ローマ軍の司令官自身がヒョウガに語り始める。 「馬鹿でないなら察しはついていると思うが、シュンは俺の肉親――弟だ。れっきとしたローマ人。貴様等の敵だ。弟の汚らわしい過去を知る者たちに生きていられるのは、何かと不都合だったので、綺麗に消えてもらった」 「シュンが――貴様の弟だと…… !? 」 いったい自分の知らないところで、何が起こっているというのか。 ヒョウガは状況の把握ができず、ひたすらに混乱した。 こういう時にこそ、シュンに側にいてほしい。 シュンなら、素早く現状を把握し、大局を見極め、ブリトン族を率いる者が採るべき道を、その王に示してくれるはずだった。 だというのに、そのシュンがローマ人――ブリトン族の敵だなどと――。 ローマ人だけでなく、この世界自体が狂い始めているのだとしか、ヒョウガには思えなかったのである。 声と身体を強張らせ、呪わしいローマ人への悪罵すら吐くことができずにいるヒョウガに、シュンの兄を名乗る男が揶揄するように告げる。 「貴様にはもう帰る家もない。ローマへの反抗心を捨てるなら、命だけは助けてやってもいい。シュンの奴隷として、シュンに仕えることを許してやろう。もちろん、その際には、以後 滅多なことができないように、その舌と男の印は切り落とさせてもらうが。それでも、ブリタニアで野蛮人たちの王を気取っているよりはいい暮らしができるだろう」 この男は、ブリトン族の王にローマの奴隷になれというのだろうか。 誇りを失って、国の王が何を糧に生きていけるというのか。 ヒョウガは、ローマのすべてを呪うように、馬鹿げた提案をしてくる男を睨みつけた。 ヒョウガの憎悪に満ちた眼差しに、意外やローマ軍の司令官が、驕った勝利者らしくない声の呟きを返してくる。 「シュンが帰る場所はなくなった。おまえがローマに行くと言えば、シュンも大人しく俺と一緒にローマに帰ってくれるだろう……」 「シュン――」 シュンのために、この男は狂ったのだ。 1万のブリトン族を殺し、殺しても飽き足らないほど憎いはずの男を生かしておこうとさえしている。 ヒョウガは、ふいに胸が焼き尽くされるような痛みを覚えた。 その痛みが、憎しみによるものなのか絶望によるものなのか、あるいは、嫉妬なのか愛なのか、痛みを感じているヒョウガ自身にもわからなかったのだが。 「よく慣らしたものだ。誇り高いアウレリウス家の男子を、よくも慰みものになど」 「シュンは無事なのか。シュンは――」 「俺の弟は、やわらかい寝台で、絹の夜着を着て、今頃は華やかなローマの夢でも見ているだろう」 「……」 シュンの無事、炎の中で燃えていくブリトン族の民。 それは絶望なのか、安堵なのか――ヒョウガには本当に何もわからなかった。 「明日……いや、もう今日か。おまえに会わせることを、シュンに約束させられてしまった。せいぜい哀れっぽく、シュンに慈悲を乞うがいい。シュンの同情を引くことができたなら、おまえは生き延びることだけはできるだろう」 ブリタニアからブリトン族の村が消えた日。 ブリタニアの地に太陽が昇り始める。 自然はローマより哀れみを知らない無慈悲なものだということを、ヒョウガは、この日、生まれて初めて知った。 |