ドゥ・カミュ公爵がロシアから呼び寄せた大公家の貴公子が、冥府の王の新妻に横恋慕している――というのは、その頃には、パリ社交界で知らぬ者のない噂になっていた。 主役の二人は期待の しかも登場人物は皆、出来すぎた舞台劇のように美しい。 ――となれば、その恋愛劇が社交界の噂の種にならないはずがなかったのだ。 ハーデスとその新妻がサロンに顔を出さなくなったのも、若い外国人に妻を奪われまいとしたハーデスの用心なのだろうとか、むしろ奥方の方が夫に疑われることを避けたのだとか、若い二人はもともと恋人同士だったのに、ハーデスは金の力で二人を引き裂いたのだとか、様々な憶測がパリ中のサロンで飛び交っていた。 噂が元気にパリ中を闊歩している中、渦中のロシアの貴公子は、カミュの屋敷に引きこもり、もはやサロンに足を運ぶ気力もない状態だったのだが。 そんな状況をカミュが他人事のような顔をして見ていられるわけもなく、彼はヒョウガに実らぬ恋を諦めさせるために あれこれと腐心することになったのである。 「やめておけ。気持ちはわからんでもないが、ハーデスを敵にまわすのは愚か者のすることだ。彼の銀行はロシアにも何店もの支店を構えている。ハーデスの世話になっていない貴族などいない」 「……」 カミュの言うことはわかるのだが、理性で押しとどめられるのなら、それは恋ではない。 人は、愛しすぎていない時には、まだ十分に愛していないのだ。 ヒョウガは既に完全にシュンへの恋につかまってしまっていた。 「カミュも彼と仲がいいようには見えなかった」 「そりが合わないだけだ。敵対しているわけではない」 「心配は無用だ。シュンにはこっぴどく振られたから」 「なに……」 力なく笑うヒョウガの言葉に、カミュはその瞳を見開いた。 ハーデスが妻に選ぶほどなのだから、シュンが特別な人間であることは、カミュにも察しはついていた。 しかし、そんな特別な人間が相手でも、ヒョウガに恋されて胸をときめかせない少女がいるということは、カミュには それこそ信じ難い事実だったのである。 彼は、二人が許されぬ恋に落ちて何らかの事件を起こすことを懸念してはいたが、ヒョウガがハーデスの妻にすげなく袖にされる可能性は考えてもいなかった。 だが、ヒョウガの様子から察するに、それは事実であるらしい。 そして、ヒョウガがそれでも、ハーデスの妻への思いを断ち切ることができずにいる――ということも。 |