「瞬の奴、やっぱりどっか変じゃないか?」
昨日にもまして、瞬の頬は青白い。
仲間に心配をかけないために いつも作っている笑顔さえ、今日の瞬は見せようとしない。
星矢はさすがに、瞬の様子は尋常のものではないと思い始めていた。
「氷河がいないからだろう。瞬は今日でもう6日も一人でいることになるんだし」
常とは逆に、今日は紫龍の方が、平生の星矢のように楽観的な見解を示してくる。
立場の逆転に妙な気分になりながら、星矢は自分の口をへの字に歪めた。

「欲求不満かよ。氷河じゃなくて、瞬の方が? まさか」
「しかし、他に理由が見当たらない」
「それはそうなんだけどさー」
星矢自身、氷河が側にいないから瞬はいつもより元気がないのだろうと、今の今まで思い込んでいたので、彼は紫龍の言を頭から否定することはできなかった。
氷河がいないのだから、瞬のしおれた様子は自然なことで、氷河がいないのに瞬が元気いっぱいでいたら、むしろ その方が問題だと、星矢自身が昨日までは考えていたのだ。

自分の方が気にしすぎなのかと、星矢が考え始めたところに、彼等の女神が通りかかる。
グラード財団総帥と女神アテナの二足の草鞋を履き、その上、つい先頃、日本国産業環境自主行動計画推進委員会会長などという、星矢には訳のわからない肩書きを与えられたばかりの彼女は、今日も今日とて忙しそうだった。
それでも彼女は、到底 明朗快活とは言い難い顔をしているアテナの聖闘士たちの姿を見て、そこを素通りするようなことはしなかった。

「どうかしたの? 二人とも浮かない顔をして」
「あ、瞬の様子がここのところおかしくて――」
外出着でラウンジに入って来た沙織に、星矢は、今はここにいない仲間の名を出して、彼等の浮かぬ顔の訳を告げた。
そんな星矢に、沙織が いたく真面目な顔をして、
「欲求不満で?」
と反問してくる。

沙織のその言葉を聞いて、星矢は、瞬の消沈振りを心配していた自分が非常に馬鹿げたことをしていたような気分になってしまったのである。
逆に、それまで軽い気分でいたようだった紫龍の方が、沈鬱な表情になる。
「それは、知恵と戦いの女神アテナの公式見解と思っていいんですか」

人には人それぞれの立場というものがあり、人は対峙する相手に、その立場にふさわしい言動を望むものである。
『氷河がいないことからくる欲求不満のために、瞬は元気がない』というのは、龍座の聖闘士や天馬座の聖闘士が言う分には問題のない発言だが、できればアテナにはそういうことは言ってほしくない――というのが、紫龍の本音だった。
自らの立場をわきまえていないグラード財団総帥 兼 知恵と戦いの女神アテナが、あっさりと同じ答えを返してくる。
「だって、他に原因があるの?」
「……」

沙織は、それを、女神アテナの公式見解というより、自明の理、あるいは証明不要の公理や原理の類とでも思っているようだった。
ますます渋い顔になってしまった紫龍に、沙織が屈託のない笑みを向けてくる。
「氷河も明日には帰ってくる予定だし、そんなに気に病む必要はないわよ」
「はあ……」
紫龍が気に病んでいたのは、たった今 この瞬間に限っていうなら、瞬の欲求不満のことなどではなかったのだが、沙織にその事実を説明したところで無駄である。
沙織はすべてを承知した上で、わざと とぼけた慰めを口にしているのだ。
紫龍は自らの空しい思いを胸に収めたまま、沈黙した。

氷河は、人類がしでかした不始末の補修のために、6日前からパタゴニアに出掛けていた。
彼の凍気で、今年になってから後退の著しいウプサラ氷河を再生するために。






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