瞬は――どう考えても誤解していた。
俺の睥睨を、“熱い眼差し”と思い込んでいた。
その証拠に、瞬は翌日から、俺のために、“ついで”でコーヒーもいれてくれるようになったんだ。
相変わらず瞬は、紅茶とジャムも運んできたが、その横にはコーヒーの入ったカップが並ぶようになった。
もしかしたら瞬は、これで瞬なりに“学習”したつもりなのか?
だとしたら、大した学習能力だ。
あきれて声も出ないくらいに。

「瞬、あんまり氷河を甘やかすなよ。つけあがるだけなんだから」
「甘やかしてなんかいないよ。僕のお茶をいれるついでだから」
星矢に渋面を向けられても、瞬はにこにこ笑っているだけだった。
馬鹿もここまでくると感心してしまう。
「紅茶をいれるついででコーヒーいれたりできるもんなのか?」
星矢は、俺の前に置かれたコーヒーに不満げだったが、瞬はそれを軽くいなしてしまった。
「僕が甘やかしているのは星矢の方。はい、スキムミルク。紅茶にもコーヒーにも、星矢はこれなんでしょ」

そう言って、瞬が、星矢の前にシュガーポットを差し出す。
だが、その中に入っているのは砂糖でもなければ塩でもなく、スキムミルク――いわゆる脱脂粉乳の粉だった。
星矢は、牛乳やクリームの類が苦手で、唯一お茶に入れることのできる乳製品が、そのスキムミルクの粉なんだ。
奴は、子供の頃の食習慣から未だに抜け出せずにいるらしい。

「おまえみたいなガキに、コーヒーくらいのことで文句を言われる筋合いはない」
「なにーっ!」
軽いジョークに本気で怒るところがガキである。
星矢はスキムミルクの入ったポットを手にしたまま鼻息を荒げ、その弾みで脱脂粉乳の微粉末が俺の方に飛んできた。
それは、ガキをからかうなんて馬鹿なことをした俺の自業自得だったかもしれないが、ともかくおかげで俺は立て続けに5、6回 大きなくしゃみを連発することになったんだ。

「氷河……か、風邪でもひいたのっ」
瞬が、くしゃみを繰り返す俺の顔を覗き込み、馬鹿げたことを訊いてくる。
なぜそういう発想になるんだ。
見てればわかるだろう。
俺はスキムミルクの粉を吸い込んでしまっただけだ。
「そう言えば、少し熱っぽそう。ほっぺが赤いよ」

五感で受け止めた刺激の内容を整理し、一つの概念を構築する人間の能力を悟性という。
悟性によって得た概念を組み立てて結論を導き出す力が理性だ。
瞬に欠けているのは、悟性か、それとも理性なのか。
そのいずれであったにしても、自分が見聞きしたことから導き出される瞬の結論は、とにかく何もかもが頓珍漢だった。

俺は風邪をひいて熱を出しているわけじゃない。
腹が立って、頭に血がのぼっているだけだ。
そんな簡単な判断をすることもできないらしい瞬の手が、俺の額に当てられる。
「やっぱり少し熱いみたい」
真面目な顔をして、そんなふざけたことを言わないでほしい。
スキムミルクが俺に発熱を促した経緯を いちいち事細かに説明されないと、瞬は俺が風邪をひいていないことも理解できないのか!

俺の苛立ちの度合いはますます激しくなり、そうなると当然アタマに集まってくる血の量も増える。
そこに更に紫龍が余計なことを言ってくれたもんだから、俺の熱は一層上昇することになった。
「瞬。氷河が熱を出しているのは、おまえに触れられているからだ。氷河の熱を下げたかったら、その手を離せ」
「え」
紫龍の戯れ言を本気にしたのか、瞬は奴にそう言われるとすぐに ぱっと俺の額の上にあった手を離した。
そして、いかにも俺の発熱に責任を感じているような眼差しを、俺に向けてくる。

「ごめんね。大丈夫?」
「おまえのせいじゃない」
瞬との接触が俺に熱を発生させたなんて、そんなことがあるわけがない。
常識で考えたらわかりそうなもんじゃないか。
だが、どうやら瞬は、悟性や理性に欠陥があるだけでなく、人としての常識も欠如している生き物らしかった。
「うん。ごめんね」
俺に心苦しそうな目を向けて謝罪してくる瞬は――やはり、どう考えても誤解していた。
瞬との接触によって発熱した俺が、瞬に責任を感じさせないためにわざと『おまえのせいじゃない』と言った――つまり、俺が瞬への思い遣りから事実と違うことを言ったのだ――と。

瞬は、欠陥だらけの悟性と理性と非常識で、事実とは完全に違う結論を自分の中に構築していた。
だが、それは違う。
断じて違う。
なぜ瞬は、いったいどうして そんな馬鹿げた結論に至ることができるのか――俺の悟性と理性は瞬の思考回路が全く理解できなかった。






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