「あれは本当にバナナの国の姫君か。あの肖像画の姫君か。だとしたら、画家の腕が悪すぎる。外見だけ似ていても、その性質まで写し取れないで、肖像画家を名乗る資格があるか。何もかもが違いすぎる!」
期待が大きかっただけに、氷河王子の落胆は それはそれは大きなものでした。
落胆はすぐに、その大きさを保ったまま怒りに変わっていきます。
自室に戻ると、氷河王子は、慌てて王子のあとを追いかけてきた大臣を頭から怒鳴りつけました。
氷河王子は、それこそ悪質な詐欺にでも合ったような気分だったのです。

「そ……そうはおっしゃいますが、あれは、我が国の肖像画の第一人者にして、筆頭宮廷画家のカミュ殿が描かれたもので――」
「カミュが?」
その名を聞いて、氷河王子が眉をひそめます。
カミュは氷河王子が自分の肖像画を描くことを許している ただ一人の画家でした。
というより、この国にはカミュ以外に氷河王子の肖像画を描ける画家がいなかったのです。
絵のモデルをするのが大嫌いな氷河王子は、5秒以上キャンバスの前に静かに立っていることができませんでした。
ところが、カミュは、その5秒で軽く下絵を描くことのできる光速の腕を持った画家だったのです。

その上、カミュは、氷河王子が幼い頃の美術教師でもありました。
氷河王子は、当然その腕前も知っていました。
まず間違いなく細密肖像画の第一人者、彼は、姿形だけでなくモデルの人格をもキャンバスに写し取る画力を持つ画家でした。
ということは、あの絵のモデルは、あの絵の通りの姿をして どこかに実在するのです。
それは間違いありません。

ここで、氷河王子は、昔お母様から話してもらった気の毒なお姫様の物語を思い出したのです。
王子様のところに輿入れする旅の途中、悪い心を持った召使いに脅迫されて姫君のドレスを奪われ、王家の馬車から放り出され、自分は森の中で暮らす羽目になったかわいそうな姫君の話を。
そんなおとぎ話を思い出さずにいられないほど、肖像画の姫君とエリス姫の様子は違いすぎていたのです。
ですが、バナナの国からエリス姫についてきた従者たちに訊くと、彼等は間違いなく彼女がバナナの国の姫君だと言い切りました。

別人でないのなら、画家が賄賂でも貰って故意に実物より美しい肖像画を描いたのではないかと考えるところですが、カミュはそういうことをする画家ではありません。
偽者呼ばわりされたエリス姫がぷんぷん膨れているという話を聞かされて、氷河王子はますます その気が失せてしまいました。
もちろん、この結婚話は取りやめにするつもりでした。

「わざわざ 遠い北の国までお越しいただいて、今更結婚取りやめということになったら、両国の関係にひびが入ります」
「まだ正式に婚姻を申し入れたわけじゃないんだから、問題にはならないだろう。あの女には我が国の名産品を山のように持たせて お帰り願えばいい。旅費もこっち持ち。あの女の一行はただで観光旅行に来ただけ。二国の間にひびは入らない」
氷河王子の言う通りでした。
正式に婚姻となると、持参金や いずれ生まれる子供の権利等の取り決め等に時間がかかるので、氷河王子の気が変わるのを怖れた大臣たちは、エリス姫の今回の訪問を、まずは単なる友好の証ということにしていたのです。
姫に北の国に来てもらいさえすれば こちらのものと、大臣たちは たかをくくっていたのでした。

「建前はそうですが、実質は――」
それでも食い下がる外務大臣を、氷河王子は一喝しました。
「あの肖像画と違う。詐欺だ!」
「それは絵なんですから、多少は実物と違うところもありましょう。ですが、美しい姫君ではありませんか。あの肖像画とエリス姫とで、いったいどこが違うというのです」
「顔!」

この大臣たちには絵画の鑑賞眼がないのかと、氷河王子はムカムカし始めていました。
期待を裏切られて泣きたいのは自分の方だというのに、大臣たちは北の国の王子とどこかの姫君を結婚させることしか考えていません。
その姫君を王子が愛せるかどうかは二の次三の次。
結婚によって姫君が幸福になれるかどうかは四の次五の次。
それが本当に国のためになるのかどうかすら、彼等は真面目に考えたこともないに違いありません。
ムカついて苛ついて、そして氷河王子は融通のきかない大臣たちに挑むように言い放ちました。

「俺は、あの肖像画のモデルと結婚することを、神々の女王にして婚姻の女神ヘラに誓う。ああ、ついでに大神ゼウスにも、愛と美の女神アフロディーテにも、知恵と戦いの女神アテナにもだ。俺がもしこの誓いをたがえたら、俺自身の命もこの国も滅んでしまっていい!」
大臣たちは、氷河王子の突然の宣言にびっくり仰天。
皆が皆、そろって目を剥くことになりました。

なにしろ、神への誓いは絶対です。
それは軽々しく口にしていいことではないのです。
神との誓いを破って滅びた国や王家が、この世界にはたくさんありました。

「王子様、そのように重大なことを軽率に口走らないでください」
「もう誓ってしまった。撤回はできない」
「う……」
「あの絵のモデルなら、それが王女でも百姓娘でも構わない。だが、たとえ世界一の美女が俺に言い寄ってきたとしても、それがあの肖像画のモデルでないのなら、俺は必ずその誘惑を拒み通す!」
氷河王子の決意は固いようでした。
なにより、一度神に誓った言葉の撤回は不可能です。
それがこの世界での絶対不可侵のルールでした。






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