一国の王子としては破天荒すぎる氷河王子が自身の家族を持つようになったら、今より少しは普通の王子様になってくれるかもしれない――。
そう考えた星矢と紫龍が氷河王子の恋に本腰を入れて協力しようとし始めた時、氷河王子の恋をぶち壊してしまう人物が その場に登場したのです。
それは、つい先日この工房に入ったばかりの彼等のもう一人の仲間でした。

「星矢、紫龍、庭の木に白い馬が繋がれてたけど、誰か来てるの? お客様?」
「いや、我が国の我儘王子が、ついに年貢を納める気になったらしくてな」
「王子様が来てるの? わあ、見てみたい」
まるで移動動物園のカバを見たがっているような その口振りは、仮にも一国の王子に対して非常に失礼なものだったかもしれません。
ですが、氷河王子を見物するくらいなら、まだ移動動物園のゴリラでも見ていた方がずっとまし――と星矢たちは考えていたので、彼等は この新入りの不敬な物言いをたしなめもしませんでした。

「そんないいもんじゃないぞ」
むしろ彼が期待外れでがっかりすることのないようにと配慮して、星矢は予防線を張ってやったのです。
「こないだの肖像画のご褒美か何かを届けに来てくれたのかな? だとしたら、嬉しいな」
「あいにく氷河は、そういう気の利く王子様ではないんだ」
この工房での氷河王子の評価は、あまり芳しいものではないようでした。
が、それは、星矢たちが、氷河王子を身分の高い高貴な王子様ではなく 一人の青年として見、接しているからこそのもの。
自分を高貴な王子様などと思っていない氷河王子自身、彼等の評価は実に妥当なものだと思っていました。
なので、星矢の不敬にも紫龍の無礼にも 気を悪くした様子は見せず――氷河王子は、突然工房に響いてきた聞き慣れない声に片眉をあげることだけをしたのです。

「うん……?」
氷河王子が知る限り、カミュの弟子は星矢と紫龍の二人だけでした。
カミュは新しい弟子でもとったのかと、氷河王子は声のした方に視線を巡らせました。
そして――。
その場に、大きくて澄んだ瞳の小柄な少年の姿を認めるなり、氷河王子は まるで特大の雷に打たれたような衝撃を受けてしまったのです。

木枠に張り込む前の麻布を抱えて、工房の入り口に立っている少年は、金色ではなく 薄い栗色の髪をしていました。
瞳は、空の青ではなく、人が足を踏み入れない森の奥の清らかな泉が木々の緑を映しているように透き通った緑色。
身に着けているものはごく質素な綿のシャツで、純白のドレスでも何でもありません。
だというのに、なぜでしょう。
氷河王子は、初めてあの肖像画を見た時に感じた衝撃と同じような――いいえ、それ以上の衝撃に全身を貫かれてしまったのです。

「この子――は、カミュの新しい弟子か?」
「こんにちは、はじめまして。僕、先日カミュ先生に弟子入りした瞬です。あなたが氷河王子様? わあ、綺麗!」
魂を揺さぶられるような衝撃を受けて全身硬直気味の氷河とは対照的に、瞬の方は、世界一の大国の王子様と対面したというのに、全く緊張した様子もなく気安げで親しげです。
ですが、それは瞬が礼儀知らずで恐いもの知らずだったからではありません。
瞬は、こうして氷河王子に会う以前に、星矢や紫龍やカミュから、氷河王子のことを色々と聞かされていたのです。

もちろん その大部分は褒め言葉ではありませんでした。
かといって悪口というのでもなく――要するに星矢たちは、一国の王子としての氷河ではなく、一人の人間としての氷河王子の美点と欠点とを、瞬に話してやっていたのです。
ですから、瞬は氷河王子と初めて会ったような気がしなかったのです。
そして、瞬は、自分が身分の高い王子様と対面しているという意識も稀薄でした。
そんな瞬が氷河王子を見て「綺麗」と褒めたなら、それは当然 お世辞ではありません。
「見る目がある上、実に正直な子だ」
瞬の素朴な称賛に、氷河王子は大変感心し、また非常に気分をよくすることになったのでした。

「あのなー」
謙遜ということを知らない氷河王子に、星矢は思い切り顔をしかめてしまったのですが、氷河王子はそんな星矢をあっさり無視。
氷河王子とて人間なのですから、どちらかといえば口が悪くて遠慮のない悪友たちより、素直で正直な人間と対峙していたいと思うのは自然なことです。
その上、瞬は大変可愛らしい様子をした少年でしたから、なおさら。

「カミュとはどこで会ったんだ?」
「先月、カミュ先生がバナナの国にいらした時に、僕を拾ってくださったんです。僕、親も家もなくて身軽だったので、そのまま この国までついてきてしまいました」
そういえば、瞬は、問題の肖像画制作のためにバナナの国に行った時に、カミュが南の国から連れ帰ってきた新弟子。
瞬なら あの絵のモデルのことを知っているのではないかと、星矢たちは今更ながらに思いつき、瞬に尋ねてみたのです。

「瞬なら、こないだ 王宮に収めた肖像画のモデルを知ってるんじゃないか?」
星矢に問われると、瞬は、なぜ星矢はそんなことを訊いてくるのかというように、少し不思議そうな目をして首をかしげました。
「あの肖像画のモデルはバナナの国の王女様なんでしょう? カミュ先生はバナナの国の王宮に行って、あの絵を描かれていたようですよ。僕は、王宮の前の広場で子供たちにアンパンマンの絵を描いてやってたとこを、『才能がある』ってカミュ先生に認められて、この工房にスカウトされたんだもの」

瞬の言葉は、あの肖像画のモデルがバナナの国の王宮にいたことを裏打ちするものでした。
けれど、氷河王子は、『だから あの絵はエリス姫を描いたものなのだ』と、思うことはできなかったのです。
「あの絵のモデルだというバナナの国の姫に会ったが、肖像画の姫とは似ても似つかぬ女だった。カミュに限って、筆が滑ってあんなに似ていない絵を描いたとは思えない」
「似ていない……?」
氷河王子の言葉に、瞬が急に不安そうな顔になります。
瞬の登場で忘れかけていた怒りを再び思い出し、氷河王子は急に 大変不愉快そうに口元を歪めました。

「そうだ。あの絵の姫君は、大きな宝石のように澄んだ瞳をしていた。宝石のように透き通った、だが緑の大地のような温かさをたたえた瞳だ。だが、実際にやってきた女は、あの瞳を持っていなかった」
「あ……」
それまで明るい瞳で物怖じすることなく氷河王子と言葉を交わしていた瞬が、突然気掛かりなことを思い出しでもしたかのような様子で黙り込み、瞼を伏せてしまいます。
瞬が姿を現した時からずっと彼に注視していた氷河王子は、瞬のその態度に何やら引っかかるものを感じることになったのでした。






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