「氷河もハーデスも……なぜ瞬でなきゃならないの! 共に戦い支え合ってきた !? 僕にはその機会が与えられなかっただけだ! 僕だって瞬なのに!」
「おまえは俺の瞬じゃない。姿形は同じでも……俺の瞬はもう――」
諦めるしかないのだろうか。
あの明るく優しい眼差しに出合うことはもう二度とないのだと、諦めるしか。
氷河にはそれは、人としての幸福を諦めろと言われることと同じだった。
だが、その希望――幸福を望む心――を持たずして、人はどうやって生きていけばいいのだろう?

「どこが違うの! 僕のどこがあなたの瞬に劣るの! 人の世で汚れにまみれ、人と戦い、人を傷付けるのは嫌だなんて言いながら人を傷付け続け、矛盾だらけで、弱くて、罪深い、そんなもののどこがいいのっ !? 」
「俺の瞬は、そんなことを言って、人を貶めたりしない! おまえは俺の瞬じゃないっ!」
もうたくさんだと、瞬を返してくれと、血を吐く思いで氷河は叫んだ。

だが、この事態に悲痛の思いを抱いていたのは、氷河だけではなかったのである。
それはオリジナルも同じだった。
否、彼の悲痛は氷河以上だった。
彼は、この場にいるすべての者に自らの存在を否定されていたのだ。
ハーデスにも、氷河にも、そして何より、もう一人の自分に。

瞬の姿をしたハーデスが、不幸なオリジナルを見やり静かな口調で言う。
声音が激したものでないが故に、それは非人間的だった。
「そなたと瞬を見ていて、余にわかったことがある。人は、人を愛し、愛されることを知らねば、清らかにはなれぬものなのだ。そういうものであるらしい。確かに そなたは人の世の汚れを知らず、罪を犯さぬまま生きてきたが……。そなたは、清らかなのではなく、人として無なのだ」

瞬ならば言わない。
そんな残酷なことは。
たとえ事実であったとしても。
氷河は唇を噛んで、視線を石の床に落とした。
冷酷な言葉を口にする瞬の姿を見ていたくなかった。
そして氷河は、ハーデスと大差ないことを言って、瞬の姿をした者を傷付けた自分自身を悔やんだ。

「無……? 僕が無?」
オリジナルが、ハーデスの言葉を噛みしめるように繰り返す。
彼の呟きは、壊れたレコーダーが感情を伴わずに発している音のようだった。
その声が、徐々に人のそれに変わっていく。
「僕をそんなふうにしたのは誰! 僕だって誰かを愛したかった。誰かに愛されたかった! でも、僕に与えられたのは孤独だけで――ハーデス……」

オリジナルが、ふいに声を途切らせる。
ハーデスの玉座のあるその部屋に奇妙な静寂が生まれ、その静寂を怪訝に思った氷河は、ゆるゆると顔をあげた。
そして、オリジナルの視線の先を辿る。

そこにいたのは、相変わらず漆黒の髪と瞳をした瞬の姿で――だが、その闇の色をした瞳は涙をたたえていた。
闇の向こうに小さな光が見える。
微かな光は、絶対の力を持つ神に抗うように、その輝きを涙に変えて、闇の色の瞳からあふれ出させていた。
冥府の王の涙に、オリジナルが瞳を見開いて見入っている。
冥府の王、絶対の力を持つ神――が涙を流すことなどあるはずがない。
この光景は、この世界にあるはずのないものだった。
だが、それは、氷河にとっては希望だったのである。

ハーデスが泣いている。
この冥府で絶対の力を持つハーデスが泣くはずがない。
では、誰が泣いているのか。
それは考えるまでもないことだった。
泣いているのは瞬なのだ。
瞬以外に考えられないではないか。
これほど美しい涙を流すことのできる人間が、瞬以外にいるはずがない。

「瞬っ! 瞬なのかっ !? 」
では、瞬の心は完全に消え失せてはいないのだ。
瞬の心はまだ生きて存在している。
氷河は拳に力をこめた。
どうすれば、瞬を取り戻すことができるのか。
それが叶うのなら、そうすることができるのなら、命も惜しくないと氷河は思ったのである。
瞬の心を取り戻すことができるのなら、自分の命が消え去ることさえ喜びだと、氷河は心底から思った。






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