しかし、氷河を増殖させる方法は まもなく見付かった――見付かってしまったのである。
その方法を氷河に提示してきたのは、他でもないグラード財団総帥 城戸沙織その人だった。

「瞬から聞いたんだけど、あなた、女殺しの必殺技というのを編み出したんですって?」
「……」
グラード財団総帥が笑いもせずに そう切り出してきた時、氷河は嫌な予感を覚えた。
彼女の聖闘士をわざわざ執務室まで呼び出して冗談を楽しもうとするほど、彼女が暇を持て余しているということは考えられない。
その上、彼女の横には、相変わらず春のように明るい目をした瞬が控えていた。
瞬はいったい、あの技をどんなものだと沙織に説明したのか。
氷河は大いなる不安を覚ることになったのである。

グラード財団総帥は、もちろん、ショークを楽しむために氷河を彼女の執務室に呼びつけたのではなかった。
冷徹な企業人である彼女は、極めて真面目な顔をして、
「その力、グラード財団のために――いいえ、世界平和のために役立てる気はなくて?」
と、氷河に提案してきたのである。
グラード財団総帥 城戸沙織こと女神アテナが、城戸邸の居候にして白鳥座の聖闘士に対して何らかの提案を提示し意見を求める時、それは大抵の場合 否やを言わせぬ命令だった。

「今度、グラード・ビバレッジ社が『常温氷河』という商品名の新しい清涼飲料水を発売することになっているの。『室温の爽快感をあなたに』がキャッチフレーズの商品で、その謳い文句通り、冷蔵庫で冷やさなくてもおいしく飲める、冷蔵庫不要の地球温暖対策飲料よ。1本売れるごとに10円が国連の地球温暖化対策機関に寄付金が行くという新しい試みを盛り込んだ、画期的な販売戦略を採ることになっているわ」
「はあ……」

売れそうにない商品名だと、正直 氷河は思ったのである。
思いつつ、『常温氷河』なる清涼飲料水の発売が女殺しの必殺技とどう繋がるのか、皆目見当がつかなかった氷河は、間の抜けた相槌を沙織に返すことになった。
沙織が、そんな氷河に、いかにも胸中に悪巧みを秘しているような一瞥を向けてくる。
「システム上、その飲料水の小売価格は、当然 割高になるわ。グラード・ビバレッジ社は、それでもあえて商品を消費者に買わせるためにはどうしたらいいかを模索中だったの。そこに瞬から耳寄りな情報がもたらされたというわけ。氷河。あなたが編み出したその技は、この世界を救う素晴らしい力になるはずよ!」
「はあ……」

沙織が気負い込めば気負い込むほど、氷河の胸中の嫌な予感が大きくなる。
もちろん、氷河の嫌な予感は的中した。
グラード財団総帥こと女神アテナは、城戸邸の居候にして白鳥座の聖闘士に、高らかに誇らかに言い放ったのだ。
「グラード財団とグラード・ビバレッジ株式会社は、そのキャンペーンへの協力を あなたに要請します!」
――と。

「はあ?」
氷河の声がますます間の抜けたものになる。
理解の遅い下僕に焦れたように、沙織は、彼女の用件を噛み砕いて氷河に説明した――言い渡した。
「つまり、清涼飲料水の宣伝に、あなたの顔と目を貸してくれということよ。あなたに『常温氷河』のキャンペーン・キャラクターの役を務めるようにと言ってるの」

「キャンペーン・キャラクター……?」
それはつまり、『今 このドリンクを買うと、洩れなく氷の国の小人さんたちの実物大ミニフィギュアがついてくる!』とか『○○を飲んで、赤穂47士ストラップ(全48個・シークレットあり)を揃えよう!』とかいう、あれのことだろうか――と、氷河は思った。
『今なら洩れなくキグナス氷河のミニフィギュアつき!』という宣伝の片棒を担げと、女神アテナは白鳥座の聖闘士に命じているのか――と。

そうであったとしても、そうでなかったとしても。
当然のことながら、沙織の命令の無謀さに、氷河は思い切り呆れてしまったのである。
「馬鹿も休み休み言ってください。沙織さんは、アテナの聖闘士である この俺に見世物になれと言うんですか!」
「もちろん、氷河は喜んで協力しますよ。地球環境保護って、世界の平和の維持にもつながる大切なお仕事だもの。ね、氷河!」
「……」

白鳥座の聖闘士がアンドロメダ座の聖闘士に並々ならぬ恋情を抱いているということは、城戸邸ではアンドロメダ座の聖闘士以外の誰もが知っている公然の秘密だった。
もちろん、沙織もその事実は承知していた。
だからこそ彼女は、表向きは氷河への協力要請のこの場に瞬を呼びつけておいたのである。
氷河に決定権はないということと、瞬の決定を、氷河に知らせるために。

そして、アンドロメダ座の聖闘士に並々ならぬ恋情を抱いている白鳥座の聖闘士は、もちろん、瞬の決定に異議を唱えることはできなかった。






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