フクロウの砦

- I -







凄まじい戦闘が繰り広げられたということは聞いていた。
犠牲者も少なくなく、生き残った者で怪我を負っていない者はいないほど。
それは まさに死線からの帰還だった。
だが、ともかくも、人間の住む世界を滅ぼし去ろうとする邪神は撃退され、人類の生きる場所は守り抜かれたのだ。
もちろん、いつかはアテナの降臨があるであろう聖域も。

今はまだアテナのいない聖域に帰ってくる者たちの姿は みな 血と泥にまみれ、その身に傷のない者は一人としていなかった。
多くの兵たちの中に垣間見える聖闘士たちの、聖闘士の証である聖衣も多少の差異はあれ どれも破損している。
聖域最強を誇る黄金聖闘士たちでさえ、その例外ではない。

しかし、続々と聖域への帰還を果たす者たちの疲れきった表情は、この世界を己が手で守り抜くことができたという誇りに輝いていた。
瞬は、傷一つ負っていない我が身、ひび一つ入っていない自らの聖衣を、むしろ恥ずかしく思ったのである。

瞬は仲間たちと共に、この戦いを戦いたかった。
しかし、この戦いに際して瞬に任された仕事は、聖域の大部分の兵と 他のすべての聖闘士たちが戦いに出て手薄になる聖域の守護だったのだ。
瞬自身、それはそれで大事な任務だとは思ったし、戦場に向かう者たちも それを妥当な配置と考えているようだった。
が、いくら防御の才に優れているといっても、瞬はアテナの聖闘士。
本音を言えば、やはり戦いたかった。
満身創痍で帰還する同胞たちの痛々しい姿を見て、なおさら瞬はその思いを強くしたのである。
今更な願い――ではあったが。

今回の戦いは過去に例のない戦いだった。
聖域とこの世界の破滅を目論む神は、自らの目的を達成するために、神々の戦いのことなど知らぬ“一般の”人間たちを利用したのである。
彼は、最初は神聖ローマ皇帝とドイツ諸侯がカソリックとプロテスタントに分かれて戦う内乱にすぎなかった戦いに、ハプスブルク家の弱体化を目論むフランスや、バルト海の覇権確立を目指すスウェーデン等ヨーロッパ列強を介入させ、その争いを大国際戦争に発展させるということを し遂げてしまった。
そして彼は、めまぐるしく変化する戦局の中に彼の闘士たちを紛れ込ませて様々な画策を施し、人間同士を戦わせ続けた。

“一般の”人間と人間の間に起こった戦いにはどんな事情があれ不介入――が聖域の不文律。
だが、その戦いが神の意図によって拡大しているとなると話は別である。
教皇は聖域の聖闘士たちに出動を命じた。
アテナの聖闘士と聖域から戦場に出た聖域の者たちは、数十万の兵士たちが入り乱れて戦う戦場で、カソリック派であれプロテスタント派であれ、またドイツ人であれフランス人であれスペイン人であれ、“一般の”人間には傷一つ負わせず、神の息のかかった者だけを確実に倒さなければならないという困難な戦いを戦わなければならなくなってしまったのである。

敵神によって遣わされた闘士だけを倒すのであれば、聖域の軍はここまでの犠牲を払う必要はなかっただろう。
戦場で聖域の者たちを最も苦しめたのは、神々の戦いには無関係な者たちをいかに傷付けずにごく限られた敵を倒すか――という問題だったらしい。
実際、聖闘士たちが敵神の手によって戦場に送り出された者たちを倒し去ると、人間たちはまもなく突然正気を取り戻したように和平会議を呼びかけ始め、ウェストファリア条約の締結によって戦乱は終結したのだった。






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