「すまんっ」
いったい氷河が何を謝っているのかが、瞬には わからなかった。

エレフシスの城砦に夜襲をかけてきたのは、やはりスペイン軍の兵士たちだった。
その数、およそ200。
そのまま解放してやってもよかったのだが、形ばかりでも教皇に処置を委ねようと、氷河は捕らえた敵を全員聖域に送ることを決定した。
部下の兵たちにその指示を与えて自室に戻った途端、氷河はそれまでの指揮官然とした態度を一変させ、とんでもない勢いで瞬に頭を下げてきたのである。
何を謝られているのかを理解できずにいる瞬に、氷河が言い訳がましく真実を告白してくる。

「俺は本当に光を失っていた――今も失っているんだ。それは本当だ。嘘をついていたわけじゃない」
「それは……どういうこと?」
氷河が非常にきまりの悪い顔をしている訳が、瞬にはわからなかった。
そして、『今も光を失っている』という氷河の言葉の意味も理解できなかった。
小さな灯かりだけがともっている部屋の中で、氷河の目は確かに物の形を捉えている。
瞬には、そう見えていたのだ。

「アテナは、俺の命の代償として、俺から光を知覚する力を召し上げた。アテナは、その代わりに、彼女の気に入りの鳥の目を俺に授けてくれたんだ」
「アテナの気に入りの鳥って――」
「フクロウだ」
「フクロウ?」

知の象徴にして、森の賢者と異名をとるフクロウ。
左右それぞれに180度ずつ首を回すことができ――つまりは、360度 全方向を見渡すことができることから、世界のすべてを見、世界中で起こった出来事を女神に告げ知らせると言われているアテナの聖鳥。
その目は人間の100倍もの感度を有しているが、フクロウは夜行性で、昼間はほとんど活動をしない鳥である。
その鳥と同じ目を与えられていたというのであれば、では 氷河は完全に失明していたわけではなく、夜の間は目が見えていたのだ。
太陽が地上に降り注ぐ光の中では ものを見ることができなくても、夜の闇の中では視力を取り戻していた――ということになる。
もしかすると、以前よりはるかに夜目は利くようになっていたのかもしれない。

「どうして教えてくれな……」
氷河に問いかけた瞬は、氷河からその答えを得る前に、彼の真意に気付いた。
氷河が夜の間は目が見えていたということの意味。
それは、夜――すなわち、氷河が瞬と二人きりで彼の部屋にいた時間帯――にはいつも氷河は目が見えていたということなのだ。

「氷河……は、氷河の目が見えていないと信じて、僕が恥ずかしいことしてるのも全部見てたの……」
つまり、そういうことなのだ。
そして、氷河が瞬に掴みかからんばかりの勢いで謝ってきたのは、瞬自身がその事実に気付く前に先手を打って謝罪しておいた方が、瞬の怒りを買わずに済むと踏んだから――に違いなかった。

「……いや、しかし、あれは見えていても、俺は同じことをおまえにさせていたと思うし――」
それはそうかもしれない。
そのことは百歩譲って許すとしても。
たとえ そうであったとしても、氷河が見て・・いたのはそれだけではないのだ。

「僕が行儀悪く裸で部屋の中を歩きまわっていたのも、ぼ……僕が氷河の――を見ていたことも……」
すべてを氷河は知っていた――その目で見ていたのだ。
彼の恋人が興味津々で彼の性器を見詰めていたことを。
もしかしたら――おそらくきっと――氷河に何も気付かれていないと信じている軽率な人間は、あさましい目をして食い入るように それを凝視していたに違いないのに。

瞬は、身体中の血が沸騰するような激しい羞恥心に襲われた。
恥ずかしくて、いたたまれなくて、できることなら今すぐこの世界から消えてしまいたいとさえ思う。
指先が小刻みに震え、その震えは徐々に全身に広がっていった。
そして。
「いや、おまえがあんまり まじまじと見るもんで、そんなにこれが気に入ったのかと、いい気分になっていたのは事実だが」
むしろ嬉しそうに自身の股間を親指で指差す氷河を見た途端、瞬の羞恥心は臨界点を突破してしまったのである。

全身を駆け巡っていた血液のすべてを顔に集めたように真っ赤になって、
「ばかーっ !! 」
瞬は、その小宇宙を爆発させた。






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