城戸邸の庭を見渡すことのできるテラス。
そこに置かれた白いテーブルに両肘をついて、瞬はぼんやりと 花が風にそよぐ様を眺めていた。
瞬が俺を好きでいてくれるということに関しては、俺は確固たる自信を持っている。
だが、そんなふうに瞬が俺以外のものに目を向けて所在なげにしている姿を見ると、俺は不安に囚われずにはいられなくなる。
瞬が 俺以外の誰かを思っているように見えて、俺の胸中には不吉な波が生まれてくるんだ。

「瞬」
俺が瞬の名を呼ぶと、瞬はゆっくりと俺の方に視線を巡らせてきた。
何と表現すればいいか――それは、愛しくて愛しくてたまらないものを見るような目だった。
その瞳に出合って、瞬が俺を好きじゃないなんてことはありえないことだと、俺は改めてその事実を確信したんだ。
だから、笑って訊いた。
「紫龍たちが、瞬は俺を好きなわけじゃないと言っていた。そうなのか」
と。
「そんなこと、絶対にないよ」
期待通りの答えが返ってくる。
瞬の声には、ためらいも迷いもなかった。

「なら、キスさせてくれ。おまえの唇に」
「それだけはだめ」
「瞬……」
愛され求められることの幸福に満足を覚えていた俺の心に、瞬が冷たい水を浴びせかける。
なぜ、駄目なんだ。
なぜ瞬は、そんな他愛のない行為を拒む――?

俺は感情を制御できない子供のように気色ばみ、瞬を睨みつけてしまっていた。
瞬は俺の憤りをやわらげようとするかのように、殊更 穏やかな瞳と声音で、俺に――いや、まるで独り言を呟くように――話し始めた。
「僕は……ここに来るまで、氷河が望んでいるものが何なんかを、知らなかったんだ」
「俺が望んでいるもの?」
それを瞬が知らなかったというのか?
いや、その前に――『ここ』とはどこだ?
城戸邸のことを言っているようには聞こえなかった。

「穏やかな時間、優しい思い出、戦いのない平和な日々――。本当に知らなかった。僕は、氷河はどちらかというと好戦的な人間だと思っていたから」
「俺の望みは、おまえが俺の側にいてくれることだ」
「うん……それも知らなかった」
知らなかったなんて、そんなことがあるか。
俺は、瞬に会った瞬間からそれだけを望んでいたし、実際に瞬にそれを求め、瞬は俺の願いを叶えてくれた。
その瞬が――何を言っているんだ。俺の望みを知らなかったなんて。

「氷河は、今ここで幸せ?」
「ああ。おまえがここにいるから」
俺が澱みなく答えると、瞬は悲しそうな目になった。
悲しそうで――だが、優しい。
優しい(だが、悲しさが際立つ)眼差しで、瞬が俺を見詰めてくる。
俺は、瞬のその優しい眼差しの中にある悲しい色の理由がわからなかった。
瞬は『ここ』で、俺にこれだけ愛され求められ、それでもまだ満ち足りていないというんだろうか。

「ここは平和で、誰かと争う必要もないし、おまえは可愛いし、望めば俺を受け入れてもくれる。おまえにキスできないことを除けば、不満はない」
「いつまでもこうしていたい?」
「そうだな」
「なら、キスはだめ」

なぜだ。
いったい、俺が瞬にキスをすることで、俺たちの何が変わる?
瞬は本当は俺に心を許してくれていないのか?
それとも、何か俺には言えない秘密を隠し持っているのか?
瞬は本当は俺を――
「おまえは、本当は俺が嫌いなのか !? 」
俺の悲鳴じみた難詰に、瞬はゆっくりと首を横に振った。
「なら!」
「氷河……」

食い下がる俺に、これ以上秘密を秘密のままにしておくことはできないと考えたんだろう。
短い吐息を洩らし、長い時間 逡巡し、やがて瞬は小さな声で、俺に驚くべきことを告白してきた。
「……僕が、氷河の氷姫なの」
「なに?」
「僕が、氷河の幸福な世界を壊す氷姫なんだ」
「瞬、何を――」
瞬が俺の氷姫?
瞬が、俺の命と幸福な時間を奪う者だというのか?






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