瞬が沈んだ心で使用人用の小さな部屋に戻り、瞬以上に重い心でカミュがこの館の主人用の広い寝室に入ってまもなく。 深夜の瞬の部屋に、一人の来客があった。 不審というより不安を覚えて、恐る恐る 小さな木の扉を開けた瞬は、開かれた扉の向こうに、その場にいてはならない人の姿を見い出すことになってしまったのである。 氷河は、いつもの時刻にやってくるべき者がやってこないので、自分から使用人の部屋まで出向いてきたらしい。 「氷河! 氷河はこんなとこに来ちゃだめだよ!」 「一人では寝られない」 部屋の中に入ってくる氷河を押しとどめようとした瞬の手をすりぬけて、氷河は、寝台と古い木製の衣装箱があるだけの狭い瞬の部屋に入り込んだ。 椅子もないので瞬の寝台に座り、ふさわしからぬ場所から彼を立ち去らせようとする瞬の手を引き、抱きしめ、そのまま寝台に倒れ込む。 「氷河、何するのっ。こんなところで――」 恋人の腕から逃れようとする瞬の腰を掴み、氷河は瞬の身体を自分の胸の下に敷き込んだ。 「こんなところも何も、ここは寝台だろう。ここ以上に、これをするのに適切な場所があるか」 「そういうことを言ってるんじゃなくて……!」 「文句があるなら、もっといい部屋を使えと いくら言っても、頑固にこの部屋を出ようとしなかった自分に文句を言え。まあ、狭い寝台というのも、なかなか面白そうだが」 「氷河っ!」 馬鹿なことを言い募る氷河の名を呼ぶ瞬の声が、横暴な主人をなじる響きを帯びる。 途端に、それまで冗談混じりだった氷河の声と表情が一変した。 瞬をなじりたいのは、むしろ氷河の方だったらしい。 それでもできるだけ怒気を抑えようとしているのがわかる声で、氷河は瞬に尋ねてきた。 「あの頭の硬い叔父上に何か言われたのか」 「……」 氷河を押しのけようとしていた瞬の腕から力が抜ける。 わかっているのなら なぜ――と瞬は思ったのだが、わかっているからこそ、氷河は瞬に腹を立てているらしかった。 「俺より、叔父の言うことに従うのか」 「氷河……」 氷河の身分と立場を考えたら、使用人の身で他にどうすることができるというのか。 瞬は泣きたい思いで、氷河の唇から逃れるため、顔を横に背けた。 氷河の唇が、瞬の耳に触れてくる。 「無駄なことはやめろ。おまえの心と身体は、俺の言うことをきくようにできている」 「氷河……」 それが傲慢な思い上がりから出た言葉ではなく、そうであってほしいという切ない思いから出た言葉だということがわかるので――瞬の心と身体は氷河の言葉通りのものにならないわけにはいかなかった。 「ああ……んっ」 瞬の腕がいつもより強い力で氷河の背と髪に絡みつく。 氷河が なだめ諭すように瞬の唇や喉に唇を押し当てると、瞬は徐々にいつものように全身の緊張を解き、氷河のために身体を開き始めた。 時折 いらぬ理性が戻ってくるらしく、瞬は氷河の胸の下で幾度か彼の愛撫に抵抗しようとした。 それを捻じ伏せられ、いつもより念入りで いつもより激しい行為を強いられたせいで、瞬はすっかり力を使い果たしてしまったらしい。 氷河がその行為に満足し 瞬の身体を瞬の意思に返してやった時、肝心の瞬の意識は、深い沼の底に人を引きずり込もうとするような睡魔の手に中に絡め取られてしまっていた。 遊び疲れた子供のように深い眠りの底に沈んでいる瞬の寝顔には、しかし、幼い子供のそれとは違って 物悲しさのようなものがにじんでいる。 “分をわきまえている”瞬が、これまでそういう表情を見せたことがなかったというわけではない。 だが、今夜の瞬の青白い瞼や細い肩は、いつもより はるかに濃く悲哀の色を帯びていた。 「それでも瞬は俺の言うことをきくだろうからいいとして――問題はあの頑固者の叔父上だな」 なにしろ頑固で、その上 自分に理があることを固く信じている人間が相手なだけに、それは簡単なことではないとわかってはいたが、瞬のために、氷河は、どうあってもその難事業を成し遂げなければならなかった。 |