Tears






映画やドラマで美しさや無様さを演じなきゃならない俳優じゃあるまいし、市井に生きる人間の泣き方に 美しいも醜いもないとは思う。
だが、俺は、瞬の泣き方が好きだった。
子供の頃から、なぜ瞬はあんなに綺麗に泣くことができるのかと、不思議でならなかった。
俗に『真珠のような涙』というが、瞬の涙はまさにそれ。
もちろん、瞬の涙は透き通っているから、真珠というより真球のダイヤモンドとでも言った方が表現としては適切なんだが。
瞬はひどく涙もろい子供で、仲間内で 泣き虫と言えば瞬、瞬といえば泣き虫と相場が決まっていた。

実は――あまり言及したくはないが、俺という男も結構な泣き虫だ。
まあ、俺の“泣き虫”は、ガキの頃に限って言えば、すべてマーマ絡み――俺の母親が絡んでいた。
俺は、マーマが寂しそうにしていると感じては泣き、マーマに叱られたと言っては泣く子供だった(ただし、これは、俺が悪さをするとマーマが悲しそうにするから、俺まで悲しくなってしまうという事情があった。叱られること自体は、俺にはあまりこたえていなかったと思う)。
そして、長じてからの俺は、北の海の底のマーマの姿を見ては泣いていた――彼女が、悲しいほど美しすぎるから。
そういう事情もあって、俺は、男が泣くという行為にさほど抵抗はなかった。
むしろ、その行為を肯定的に受け取っていたと思う。

俺が泣きたくても泣けなかったのは ただ一度。
マーマが俺を生かすために冷たい氷の海に沈んでいった時だけだ。
泣きたくても泣けない時、泣いてしまえれば楽になれることがわかっているのに泣けない時というのが、人間が生きているうちには何度かあるものだと思う。
それは本当に苦しい。
だから、人は、泣きたい時には泣いた方がいいんだ。
それで、苦しい心が少しでも楽になるのなら、それも人が己れの人生を生きていくための一つの方法じゃないか。

ああ、話が逸れた。
そう、そういうわけで、俺は、どこぞの瞬の兄貴なんかとは違って、男の涙というものに嫌悪感を抱いてはいなかった。
もっとも、それは、瞬限定の感じ方だということに、最近気付いたんだが。
あと一人、俺自身も例外だな。
俺が泣くのは構わないんだ。
俺が泣いても、俺の泣き顔は――それがどんなに醜悪なものでも、俺には見えないから。
だが、俺が見ることのできる瞬以外の男の涙は駄目だな。
みっともなくて情けないばかりだ。
おそらく、俺も、泣いている時には あの情けなくも見苦しい奴等と五十歩百歩の醜態をさらしているんだろうとは思うが、それをみっともないと感じるのは俺以外の奴等なんだから、俺にはどうでもいい。

俺はなぜ瞬の涙だけは平気なのかと考察してみたんだが、それはまさしく、瞬の涙が真珠の涙だから――らしい。
俺を含めて俺の知っている男共は、泣くときにはまっすぐ正面を見るか、涙を流していることを恥じ隠すように、こころもち顔を上向かせる。
当然、涙は頬を伝い落ちることになり、その涙は滴という形状を持つことはない。

が、瞬は、いつも僅かに顔を伏せ、瞼を伏せて涙を零すから、それは綺麗な球状を保ったまま きらめき落ちることになるんだ。
とはいえ、瞬が顔を伏せずに泣く時、瞬の涙が他の男共の涙のように頬に涙の筋を作って流れるかというと、そういうわけじゃない。
瞬の涙は、やっぱり綺麗な滴の形をして零れ落ちる。
おそらく、瞬は肌がとても滑らかで綺麗で――生まれたばかりの赤ん坊のそれのような張りがあるんだと思う。
だから、そういうことが可能なんだ。

瞬の頬を転がり落ちる綺麗な涙の粒を初めて見た時には、俺は正直 尋常でなく感動した。
すぐに、
「泣くな、瞬」
とか何とか言って一輝が瞬の側に駆けつけてきたんだが、あの時には、この美意識の欠如した野卑な男を殴り飛ばしてやりたいと、本気で思ったな。
それがちょうど、自分の泣き虫を気に病んだ瞬が、俺に相談を持ちかけてきていた時のことだったから、なおさら。

「俺は、おまえが泣き虫でも一向に構わないし、それをみっともないことだとは思わない。泣きたい時には泣いちまった方がいいんだ。俺は、笑ってる時のおまえも好きだけど、泣いてる時のおまえも嫌いじゃないぞ」
我ながらガキのくせに妙に婉曲的な言い方をしたもんだと思うが、あの時俺は そんなことを言って瞬を慰めていたんだ。
「ほんと?」
瞬は瞳を輝かせて、俺を見上げてきた。
「ああ、俺は泣いているおまえも好きだ」
俺がそう言った次の瞬間、瞬はあの奇跡のように綺麗な涙を零した。
それを、あの見苦しくて暑苦しい男が、あのガサツな手でごしごしと――くそっ。思い出したら、また腹が立ってきた。






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