城戸沙織は、帰国した俺たちを比較的自由にさせてくれていた。
何でも あの女は今、都内某所に古代ローマ時代のコロッセオのような建物を建築中だとかで、それが完成するまでは俺たちに用はないらしい。
何を考えているんだか、本当に訳のわからない女だ。

――いや、あの我儘お嬢様がそこで俺たちを見世物にしようとしているんだろうってことは、俺にも察しがついていたんだが、そんなことを考える あの女の神経と思考回路と価値観が、俺には理解できなかったんだ。
城戸翁の差し金で世界各地の修行地に送り込まれた俺たちは、そこでそれぞれの師匠に、聖闘士とは地上の平和と安寧のために戦う者だと教えられてきた。
その目的に反することをするような輩には聖闘士でいる資格はないのだと。
そうして俺たちは今、聖闘士としてここにいる。
つまりは、地上の平和と安寧のために戦う者として。
その俺たちが城戸沙織の企画した見世物(要するに金儲けのためのイベント)の片棒を担ぐことがあるなんて、あの女は本気で考えているんだろうか。
いずれ城戸沙織は俺たちに何らかの無理難題を押しつけてくるだろうが、俺はそんな要求は断固として拒否するつもりでいた。
まあ、俺は日本に帰国してからずっと、城戸沙織の魂胆なんかより瞬の方に気をとられていたんだが。

そんな時だった。
瞬が一人で――俺にも隠れて一人で――青ざめた真珠を生み出している場面を、俺が垣間見ることになったのは。

その日は星矢や紫龍たちはトーキョータワー見物に行くとかで外出していて、城戸邸内には、瞬の仲間は 瞬の秘密を知っている俺しか残っていなかった。
だから、瞬もいつもより気を緩めていたんだろう。
瞬は、ラウンジの窓辺に一人佇み、城戸邸の庭をぼんやり眺めていた。
数日前、俺と瞬がキスを交わした場所。
白い雪のような花をつけた針槐ハリエンジュの木のある方を。

その場所に視線を投げて、なぜ瞬が涙(真珠)を零すのか。
瞬は数日前にそこであった出来事を悔やんでいるのかと、俺は一瞬とてつもない不安に囚われた。
だが、そうではなかった。
俺の懸念は杞憂だった。
瞬は、数日前ではなく、もう何年も前の昔に思いを馳せていたんだ。
そこは、幼い頃の俺と瞬が隠れんぼや駆けっこをして遊んだ場所。
幼い頃の俺と瞬、星矢や紫龍、そして、瞬の兄が。

「兄さん……」
瞬の呟きが、瞬の涙の訳を俺に教えてくれた。
俺の懸念は杞憂だったが、その瞬間に俺は背筋に冷水を浴びせかけられたようなショックを受けることになったんだ。
俺は一人で何を浮かれていたんだろう。
今は、瞬とあれこれ色々やってみたいなんて、そんな浅ましい欲に囚われていていい時じゃない。

俺と瞬のためじゃなく、瞬のために――せめて俺は、瞬の呪いを解くべく努めなければならないんだ。
瞬の兄を連れてくることは無理だから、俺は、せめて俺にできることを瞬のためにしてやらなければならない。
その時、俺はおそらく初めて、本当に本気で瞬の呪いを解く術を考え始めた。

そうして、俺が考えついた方策は、俺がアンドロメダ島に行くこと――だった。
瞬がその超常現象に遭遇したサクリファイス。
そのサクリファイスとやらが行なわれた場所に行って、今度は俺が、問題の声の主に瞬にかけた呪いを解いてほしいと願ってみるのはどうだろうと、俺は思ったんだ。
瞬に真珠の呪いをかけた者は、アンドロメダ島の犠牲の岩場で相応の力を示した者に対して 願いを叶えてやろうと言ってくるようだから、それは決して無益な挑戦とは言えない――と、俺は思った。

問題は、俺がアンドロメダ島に行く手段だ。
アンドロメダ島は西インド洋ソマリア沖にある絶海の孤島。
ソマリア近辺は もう20年以上――現在も――内戦状態にあり、未だ治安が安定しているとは言い難い。
大陸からの定期航路はなく、よほどの大金を積まないと船を出してくれる奇特な人間もいないだろう。
自慢するわけじゃないが、俺は色男で、色男にあるまじき力も備えているが、色男の常として金は持っていなかった。
考えあぐねた俺は、アンドロメダ島に向けてヘリを出してもらえないかと、城戸沙織に話を持ちかけてみることにした。

城戸沙織の返答は、『事と次第によっては、その望みを叶えてやらないこともない』というものだった。
つまり、城戸沙織は、アンドロメダ島への足を提供する代わりに、例のコロッセオで開催されるギャラクシアンウォーズなるイベントへの参加を、俺に要求してきたんだ。
「巨悪を白日の下に引きずり出すため」とか何とか訳のわからないことを言いながら。

俺は、何よりもまず アテナの聖闘士の一人として、そんなイベントで見世物になることはしたくない――できなかったから、城戸沙織の持ち出した交換条件を言下に拒否した。
「それは聖闘士のすべきことじゃない」
と、きっぱり言ってやった。
言ってやったのに――。

それでも彼女はヘリを出してくれたんだ。
「何か事情があるようだから」と言って、馬鹿げたイベントへの参加をそれ以上俺に無理強いすることもしなかった。
それで、俺は城戸沙織を少し見直すことになったんだ。
この6年間で、彼女は以前の彼女でなくなったのかもしれない。
巨悪がどうのこうのと訳のわからないことを言っていたが、かつての彼女への嫌悪を捨てて彼女の話を聞くくらいのことはしてやってもいいかもしれない――と、俺は考えるようになっていた。
まあ、それはコロッセオができてからのこと、今は瞬の呪いを解くことの方が優先課題だ。






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